宗祖親鸞聖人御真影
            「還座式」を通して思うこと


 宗祖聖人750回御遠忌を迎えるにあたり、御影堂並びに阿弥陀堂の修復事業が行われることになりました。御影堂修復にあたり宗祖の御真影(ごしんねい)は一旦阿弥陀堂にお移りになるための「動座式」を行い、御影堂の修復がすすめられてました。
 2009年9月30日、御修復を終えた御影堂に5年10ヶ月ぶりに御真影が還りました。雨で足場の悪い天候に関わらず、遠近各地より1万2000人もの参拝者が訪れ、御影堂・阿弥陀堂は満堂になったそうです。

 還座式(げんざしき)とは、字の如く、座に還る。宗祖親鸞聖人の御真影が御影堂に戻られたことをあらわす式ですが、本山は4回の焼失の度に再建をされ、還座式を行ってきたことかと思います。それは真宗門徒としての依り処が戻ったということで、各新聞やニュースでご門徒のよろこびの声が聞かれました。

 今回の還座式は、焼失ということではなく、ご修復を終えて、還座式を迎えることになりました。
 (先に行われた動座式は、今までは焼失のため、今回のような厳かな儀式というかたちでは行われたことはない、とのことです。)

 また、ご修復を終え、還座式の前には「素屋根スライドセレモニー」が行われましたが、何か横文字の式典の名前に違和感を感じたのを思い出します。なぜこのような名前になったか、とある方にきいたところ、今までにそのような式典はなく、ご門首も参加されないので、格付けみたいなもので、このような名前になった、ようなことも聞きました。

 私自身はというと、還座式とはどういうものか認識もなく、興味はありましたがどのように行われるかという程度で、還座式には自分の中でいろいろ理由を作り参拝はしませんでした。

 前置きが長くなりましたが、「還座式とは何であるか」ということを考えるにあたり、先ず「御真影が何であるか」ということを明らかにしていかなければならないことであると思いました。「御真影」ということを考えるにあたって一つ、単なる偶像崇拝の宗教になっていないか、という疑問も持たれた方もみえるのではないでしょうか。
そこで「還座式とは何か」、「御真影とは」ということを、還座式の様子を伺いながらいろいろと考えていきたいと思います。

御影堂に練りこむ『教行信証』と御門首

 還座式の様子

 各社新聞等で真宗本廟の「還座式」の報道がなされたのはご存知かと思いますが、『教行信証』が還座式の列に加わっていることはあまり知られていません。
 楽僧−教行信証(坂東本)−御門首−御真影と列をくみ、御影堂に練りこんでいったそうです。このことは参拝者の中でも知らされていなかったようで、赤い卓の上にのせてあったものが何であるか分からなかった人が殆んどであったようであります。


 広瀬杲(ひろせたかし)氏による記念法話の中では、

・親鸞聖人は『教行信証』によって信心をあらわされた、明らかにされた
・『教行信証』を通じて親鸞聖人に出遇う
・『教行信証』を書かれた人、その象徴が御真影である
といったことをお話されたと聞きました。
(還座式に行かれた方に、お話された内容をお聞きし、メモしたものです。ご了承ください)
また、広瀬先生は
・親鸞聖人にとっての御真影は法然上人であることが『教行信証』後序にみることができる、とおっしゃていたとのことでした。


パンフレットには、三帰依文に続き、真宗大谷派宗憲が載せられ、次に宗務総長安原晃氏の「宗祖としての親鸞聖人に遇うー御真影還座式にあたってー」というお言葉が載せられています。

 「宗祖としての親鸞聖人に遇うー御真影還座式にあたってー」(抜粋)
                                 宗務総長 安原 晃 氏
昨年末に御修復工事を終えました御影堂に、本日還座いただきます宗祖聖人真影は、聖人が、そのご生涯を尽くして開顕せられた「浄土の真宗」、教法の象徴としての御真影であります。
 また、とき同じくして奉備いたします『教行信証』坂東本は、顕浄土真実教行証文類の名が示しますとおり、宗祖聖人のお姿、求道そのものが表現せられた普遍の聖教であります。

とお言葉を添えられています。

 真宗大谷派宗憲にも、やはり『教行信証』はもちろん、御真影ということが色濃く出てきます。

楽僧に続いて『教行信証』、御門首、そして御真影

真宗大谷派宗憲(前文)

 宗祖親鸞聖人は、
顕浄土真実教行証文類を撰述(せんじゅつ)して、真実の教たる佛説無量寿経により、阿弥陀如来の本願名号を行信する願生浄土の道が人類平等の救いを全うする普遍の大道であることを開顕された。
 宗祖聖人の滅後、遺弟(ゆいてい)あい図って大谷の祖廟を建立して聖人の
影像を安置し、ここにあい集うて今現在説法(こんげんざいせっぽう)したもう聖人に対面して聞法求道に励んだ。これが本願寺の濫觴(らんしょう)であり、ここに集うた人ぴとが、やがて聞法者の交わりを生み出していった。これがわが宗門の原形である。
 したがって、この宗門は、本願寺を真宗本廟と敬仰(きょうごう)する開法者の歓喜(かんぎ)と謝念とによって伝承護持されてきたのであり、宗祖聖人の血統を継ぐ本願寺歴代は、聖人の門弟の負託に応えて本廟留守の重任に当られた。中興蓮如上人もまた、自ら大谷本願寺御影堂留守職として、専(もっぱ)ら御同朋御同行の交わりの中において立教開宗の本義を闡明(せんめい)して、真宗再興を成し遂げられたのである。
 爾来(じらい)、宗門は長い歴史を通して幾多の変遷(へんせん)を重ねるうちには、その本義が見失われる危機を経てきたが、わが宗門の至純(しじゅん)なる伝統は、教法の象徴たる宗祖聖人の
真影を帰依処(きえしょ)として教法を聞信し、教法に生きる同朋の力によって保持されてきたのである。
 このような永遠普遍の教法と宗門固有の伝統に立ち、宗門運営の根幹として次のことを確認する。
第一に、すべて宗門に属する者は、常に自信教人信の誠を尽くし、同朋社会の顕現(けんげん)に努める。
第二に、宗祖聖人の
真影を安置する真宗本廟は、宗門に属するすべての人の帰依処であるから、宗門人はひとしく宗門と一体としてこれを崇敬護持(そうきょうごじ)する。
第三に、この宗門の運営は、何人の専横専断をも許さず、あまねく同朋の公議公論に基づいて行う。
 わが宗門は、この基本精神に立脚し、かつ同朋の総意に基づくこの宗憲に則り、立教開宗の精神と宗門存立の本義を現代に顕現し、宗門が荷負(かふ)する大いなる使命を果すことを誓う。


御真影をはこぶ御堂衆

 宗祖のご生涯をみるに、親鸞聖人は比叡山を降り、聖徳太子ゆかりの六角堂に参籠し、その後、吉水の法然上人のもとに向かうことになりますが、聖人にとって「法然上人(人)との出遇い」というものは、まさしく「念仏(教え)との出遇い」と等しいと言ってもよいものだったでしょう。


 親鸞聖人の生涯を綴った『御伝鈔』には、「人」と「教え」の関係が別のかたちで見ることができます。
 上巻第5段「而(しか)るに既に製作を書写し、真影を図画す。」親鸞聖人は法然上人に『選択集』を書写することと同時に、法然上人のお姿を画くことを許可されたのです。このことは親鸞聖人が法然上人のお念仏の教えを正統なかたちで伝承したことを示していると思われます。この時の親鸞聖人の心情を推測すると、法然上人いう「人」と『選択集』という「教え」が切っても切れないものであるということを物語っているようにも見えます。

内陣前卓の前に置かれた御真影

『御伝鈔』上巻 第5段 選択付属

 黒谷の先徳、源空 在世のむかし、矜哀(こうあい)の余り、ある時は恩許を蒙(かぶ・こうむ)りて製作を見写し、或時は真筆を降(くだ)して名字を書き賜わす、すなはち『顕浄土方便化身土文類』の六にの云(のたま)わく 親鸞上人撰述 「然(しか)るに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰し、元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書く、同じき年初夏中旬第四日、『選択本願念仏集』の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏、往生の業 念仏を本と為す」と、「釈の綽空」と、空の真筆を以って之を書かしめたまい、同じき日、空の真影申し預かり、図画し奉る、同じき二年、閏七月下旬第九日、真影の銘真筆を以って、「南無阿弥陀仏」と、「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」の真文とを書かしめたまひき、また夢の告(つ)げに依って、綽空の字を改めて、同じき日、御筆を以って、名の字を書かしめたまひおわんぬ。本師聖人、今年七旬三の御歳也。『選択本願念仏集』は、禅定博陸 月の輪殿兼実、法名円照 の教命(こうめい)に依って選集せしめたまう所也。真宗の簡要、念仏の奥義、これに摂在(しょうざい)せり、見る者諭(さと)り易し、誠に是、希有最勝の華文、無上甚深の宝典也。年を渉(わた)り日を渉り、その教誨(きょうけ)を蒙るの人、千万なりと雖(いえど)も、親(しん)と云い疎(そ)と云い、此の見写を獲るの徒(ともがら)、甚だ以って難し、しかるに既に製作を書写し、真影を図画したてまつる。是、専念正業の徳なり、是、決定往生の徴(しるし・ち)也。仍って悲喜の涙を抑えて、由来の縁を註(しる)すと云々。


 今回の還座式において『教行信証』が列に加わったことは、単に宗祖のご真影が戻られたことをあらわす儀式にとどまらず、教法ともに「今現在説法」たる親鸞聖人がお戻りになられたことを表現された意味のある儀式になったと感じました。
 後で聞いた話では、今までの還座式で『教行信証』が列に加わったことはなかったということらしいです。またこのことは還座式の行われる直前に決まったことと聞きました。

 普段私たちは儀式というものを、かたちだけのもの、昔から行われているものとして、意味を理解せずに執り行われている風潮が強くなってきていると思われます。勿論、かたちをとることは大切なことであり、かたちとしてあらわすことこそ重要な側面をもっているのが儀式というものであります。それが伝統を生み、その伝統によって、時代を超えて色あせることなく念仏の教えが伝わっていく。いわば、伝統を守りかたちを変えないことが、お念仏の教えを正しく伝える教化のありかたであるとも言えるのでしょう。

 今回の『教行信証』の列は、今までそんなことはしたことがないと反対される方もいるかもしれませんが、私自身は「宗憲」の精神を見事にあらわした素晴らしい還座式になったと。儀式というものにいのちを吹き込んだように思い、一人感動いたしましたことでございます。

還座され、焼香される御門首

 この度の「宗祖親鸞聖人750回御遠忌」の基本理念の中に「宗祖としての親鸞聖人に遇う」という言葉があります。このことは、御遠忌に参拝させていただき、単に真宗本廟に足を運び、親鸞聖人の御真影に遇いにいくということではなく、「親鸞聖人に遇う」ということは「念仏の教えに遇う」ということが願われているスローガンでもあり、御真影に遇いにいくということは、それこそ、念仏の教えを確かめにいくこと、願生浄土の道を尋ねていくこと意味していることであるとひしひしと感じます。

 現在、『教行信証』は御影堂の「六軸の間」に荘られています。御影堂に『教行信証』が荘られていることは意外に知られていなく、「え、六字の間って何」と存在自体知らない方もみえます。

もし今度、御影堂、今現在説法したもう親鸞聖人の御真影の前に座し、対面することができたなら、ぜひとも宗憲にある、真宗本廟の歴史、多くの聞法求道の歴史を感じとって、ひとつひとつ荘厳を見ながら、それに願われていることに思いを馳せたいと思います。

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 御真影の宗祖聖人は、正面の念珠の房は大きく、一見いかにも合掌しているお姿にみえますが、「安城の御影」や「熊皮の御影」のように数珠を一輪に持ち、合掌はしていません。遠くからみるとどうしても合掌しているお姿にしかみえないのですが、よくみると、もうひとつの房が下に横たわっているのがわかります。
 このお姿は、聖人が合掌しているお姿ではなく、私たちに今、法を説かんとしてくださっているお姿、「今現在説法したもう聖人」のお姿、ということだそうです。
 この念珠も新しく見えますが、何年に一度、あるいは何十年に一度、新調しているそうです。

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