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同朋奉讃式について 

同朋奉讃式の正信偈について
 大谷派の勤行は、お勤め自体の「格」というものを重視します。平日の軽いお勤めから報恩講等の重い法要までお勤めの格が存在します。同朋奉讃式はそれとは別に新しい法要式で、寄り合いやお講組でより簡単に勤行ができるように、法事等で家族や小さい子供さんとみんな一緒にお勤めできるように作られた勤行式なのでしょう。従来の「淘り」のついたお勤めとは少し別に考える必要があるように思います。
 勤行の種類からみると念仏讃は「無淘り」の勤行ですので軽い勤行に属すると思いますが、同朋奉讃式は同朋唱和が基本となるところだと思いますので、従来の本堂で行うお給仕的なお勤めとは性質が違うものと言って良いのではないでしょうか。

 普段お寺で年中行事として・お給仕として行う「正信偈草四句目下」と、ご門徒と一緒に同朋唱和で行う「正信偈草四句目下」とでは勤め方が自然と変わってくることでしょう。
 「正信偈草四句目下」は本来「真行草」の格でいうならば「草」の位で軽やかにサクサクお勤めするものだとします。書でいう草書のようにサラサラ柔らかくお勤めをするべきでしょうが、なかなかそのようにお勤めをして皆が声をそろえるというのは難しいことです。
 同朋唱和でお勤めをすると言った場合、お勤めをする対象にもよるのでしょうが、一番初心者の人に合わせてお勤めをすることが必要になってきます。例えば、小さいお子さんが多ければ、その子供たちがお勤めできる速さまで落とすことになるでしょう。草の位だから軽くサラサラお勤めするというのではなく、しっかりお勤めをすることが望ましいことだと思います。言葉を変えて言うならば、「草四句目下」を行の格で勤めるということです。

 「草四句目下」を行の格で勤めるといった場合、スピードがゆっくりになることは勿論、それに伴い音の上がり幅下がり幅も大きくなってくることもあるでしょう。本来の草の位でお勤めする場合に音の上がり下がりが半音程度であるとしても、行の格でお勤めするといった場合一音近く音が動くことも別に不自然ではないように思われます。ただ、本来の「草四句目下」から考えると違和感をもつ人もいることでしょうが、それを知っている人の話です。特にご門徒の方は行の格・重たく「草四句目下」をお勤めすることが多いので、それが「草四句目下」であると思っている人が多いように見受けられます。
 実際のところ一音近く音が下がってしまうことはよくありますが、それでは全く「行四句目下」と変わらなくなってしまいますので宜しくはないと考えています。だからと言って、一人だけ声を外してまで半音にこだわるのにも問題があります。お勤めの稽古・練習する機会があるならば、話し合いをしお勤めを変えていくことも可能ですが、不特定多数でお勤めすることも少なくありませんので難しい問題であります。

 本山の本来的な「草四句目下」は半音もしくは半音より軽い音というイメージがあります。それが本来のお勤めであると言ってしまえばそれまでですが、その半音より軽い音というものを表現するにはかなり熟練された技術がいることですので、それでは問題は解決しません。ただ一つ言えることはその「半音より軽い音」ということが当派の声明の特徴を表すことでもあり大きな意味をもつことであると考えます。
 お勤め自体の格に軽重があるように、それに伴い節譜の扱いにも軽重がともなってきます。この場合、音の高低にも軽い重いが存在してくると言う事です。音が下がる場合、、しっかり下がるといえば音程的に(下がり幅を)一定の音まで下げる必要があります。さらに重たい扱いをする場合は、その音に対して押える扱いをしますので正規の音のより若干沈んだような低い音色になります。
 逆に軽く(下がる)といった場合には押えない扱いをしますので音程的にはあまり下がらない事を意味し、結果少し浮いたような音色になります。当派ではこれら全てを一音とか半音とかに表現する傾向にありますので音楽的には理解し難い点はあることかもしれませんが、お勤めの格・軽重を表現する優れた技法の一つではないでしょうか。

 同朋奉讃式において、実際の現場でどのようにお勤めを作っていけば良いのか、またどのようにお勤めの格を表現できるか考えてみたいとおもいます。
 同朋唱和を規準にお勤めをすると仮定した時、声を揃えるためにはある程度お勤めのペースは落とすことになるでしょう。また、音の下げ幅を半音程度にしたい場合、本山のように半音より軽い音で声を揃えるのは難しいのでしっかり半音下げるように音を作りあげていくことが良いのではないでしょうか。
 さらにペースがゆっくりで重々しいお勤めで音が一音程度下がってしまっている場合ではどうすればよいでしょうか。一人だけ半音でがんばるのではなく、一音下がるとしても押えない軽い音で全体のお勤めの雰囲気を軽く聞かせることもできるでしょう。その程度の音階のずれであれば全体の音を乱す事もないでしょうし、さらにリズムカルにお勤めを”草四句目下らしく”する第一歩ではないでしょうか。
 このように考えれば、音が半音であろうと一音であろうとお勤めの”格”を作り上げることはある程度可能であると思います。場所々々によってお勤めの格みたいなものがあるでしょうし、同じ同朋奉讃でもお勤めをするメンバーが違えばお勤め全体の雰囲気はガラっと変わってきます。

 しかしながら、「草四句目下」というお勤めは「格」からいうと軽いお勤めになるのでしょうが、ご門徒の立場からみると「草四句目下」のお勤めは、"軽い"という感覚は決してもっていないはずです。「格」とか声明の技術というものとは別に、「このお勤めに参加できてよかった」皆が気持ちよくお勤めができて「この場に座っていれてよかった」と思えることが大切なことであると思います。
 その為にも、お勤めに合った「格」というものがあり、声明に対する技術というものが必要になってくるのではないでしょうか。













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