御影の向きについて | |
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ご本山の盂蘭盆会では虫干しを兼ねて御歴代の御影軸が余間までいっぱい掛けられます。よく見ると右向きのお姿、左向きのお姿の御影があります。御影の研究の書や文献はあっても、お姿に対する向きに関する資料は殆どないと聞きます。
ご本山は阿弥陀堂・御影堂の両堂形式ですので少し分かりずらいので一般寺院の本堂を例に御影の向きについて考えていきたいと思います。 【本間について】 本間とは余間に対して本間であり、中心のご本尊の安置される中尊前、向かって右・宗祖聖人の祖師前、向かって左を御代前。この三尊前の間を本間と言います。間とは「菊の間」「藤の間」といわれる如く部屋を指します。余間と本間の間には平常襖はありませんが本来は別々の部屋であります。ただ、本間・余間と表現されるのはまったく別ということではない側面もあるとも言えるでしょう。 ご本尊は間の中心にあり、言うまでもなく正面を向いています。通常、祖師前の親鸞聖人は、向かって左を向いて描かれています。即ち阿弥陀様の方を向いています。 御代前には名前のあらわすように歴代上人の御影を掛ける場所です。名古屋別院では現在、蓮如上人が掛けられていますが、以前は前住上人(先門首)が掛けられていました。前住上人が掛かるということは、本来ご門首が亡くなられる度にお軸を新調することになります。 一般寺院ではなかなかご門首が亡くなる度に新調することが難しいこともあり、お寺の創設時の前住上人のお軸が掛けられていることが多いようで、御代前をみるとお寺の歴史を感じることがあります。 問題の向きですが、通常ご門首が亡くなられた後、御代前に掛けることを前提に作るならば、やはり阿弥陀様の方を向いた、向かって右向きに描かれることになります。名古屋別院のお軸は殆どが向かって右をむいています。別院には、向かって左向いているお軸もあるそうですが、理由はわかりません。
私たちが法要で出仕する時、内陣も外陣も皆阿弥陀様のお方を向いて座りますが、以上のことで先ず言えることは本間(祖師前・御代前の御影)は通常阿弥陀様の方を向いてお掛けすることが基本と言っていいでしょう。 例外を言うと、宗祖の御影に「真向きの御影」というものがあり、特別に許可されたお寺には正面を向いて描かれている宗祖の御影が掛けられていることがあります。名古屋別院もそのひとつです。正面向きといえば、ご本山の御真影がそうでありますが「真向きの御影」は御真影に準ずるお姿をあらわしていると言えるのではないでしょうか。ご本山は両堂形式でありますし、歴史的には御影堂は宗祖の墓所、本廟を指していますので正面を向いています。一般寺院は祖廟の形式が基準となっているということらしいですが、祖師前の宗祖御影は向かって左を向いていることが一般的ですが、阿弥陀様に逆向きの御影はありません。また、宗祖の御影が御代前側に掛けられることもないでしょう。 【余間について】 法要時、余間に出仕する場合、やはり内陣出仕者と同じく、阿弥陀様の方に向いて座します。つまり本間の方を向いて座ります。しかし余間に掛けられる御影は全て本間の方に向いている訳ではありません。余間をひとつの間(部屋)と考えるならば、その間に対するバランスがとられているようにみえます。余間には「名号」が中央に掛けられる場合がありますが、一つの間に対するお名号なのか、本間のご本尊に対する脇掛け的な名号なのか…。 余間の灯明は、両側の菊灯に点灯する「両灯」、片方だけ点ける「片灯」という点け方があります。右余間左余間に関わらず片灯の場合向かって右側の菊灯に点灯します。上手下手関係なく、左右対象でもなく、向かって右手の灯明を点けるということは、それぞれの余間をひとつの間としてとらえているようにみえます。 現在、余間は太子・七高僧が奉掛してある方を上位するとのことですが、庫裡と本堂の位置関係による上位下位はないそうです。以前は庫裡のある方が下位で、そちらに前住職の法名軸を掛けるとか言われていたようです。基本的には祖廟が一般寺院の基準となっているとも言われますが、実際には右余間に太子・七高僧がくるお寺もあり、左余間に太子・七高僧もあるというのが現状だと思います。 ![]() 【聖徳太子の向きについて】 ![]() お軸の掛け方は諸説あると思いますが、取りあえず(例1・例2)のパターンで聖徳太子の向きを考えていきますと、(例1)の場合、間のバランスから言えば、向かって左余間に対しては内向きになりますが、本間に対しては外向きになります。(例2)では本間の方を向いているかたちになりますが、向かって右余間に対しては外向きになります。 (例1・例2)は内陣に近い方、内側を上手としていますが、余間単体で考えるに向かって右手を上手と考える場合、右余間・左余間に関係なく聖徳太子が上手、向かって右側に掛かることになります。また、右七祖・左太子の考え方もあったり、地域性によってまちまちであったり、現状は様々あるようです。 【七高僧の向きについて】 ![]() 龍樹・天親は菩薩のお姿として描かれており蓮座に座っていて、曇鸞・道綽・善導は中国の椅子のようなものに座り、源信は曲禄のようなものに座し、法然は畳に座っておられます。七高僧のお姿については別の機会にと思いますが、個人的には第一祖・第二祖までが正面、第三祖からは向かい合いといったイメージなら納得できるような気がするのですが。7祖、奇数ですので二人ずつが三列、誰かは一列に一人のバランスになるとは思いますが。何故この向きかと言われるを、教学的な見解もあるかもしれませんし、古来の描き方に法則みたいのがあるのかもしれませんが、とにかく合幅の場合、一幅に対して左右対象的なバランス感覚はあると言えるのでしょう。 『真宗故実伝来鈔』に少し書いてありましたが、内容を正しく解説するのは難しいので、原文を紹介するにとどめておきます。この『真宗故実伝来鈔』とは堂衆に伝来しているもの、と聞いています。 高僧太子二幅左右之事 問。太子七高僧ヲ安置シ奉ルニ、古ヘハ七祖を右ニ掛ケ、(拝者右)太子ヲ左ニ安ス、末々ニテハ本尊ノ左右ニ安ス、絵伝ノ間アル寺ニハ絵伝ノ間中ニ名号ヲ掛ケ、左右ニ高僧・太子ヲ安スルナリ。然ルニ近代ハ、太子ヲ右ニ掛ケ、七祖ヲ左ニ掛ル、如何宜ヘキヤ。答。七祖ヲ右ニ掛ケ、太子ヲ左ニ掛ルハ是古法也。然ルニ当時拝見ニツキテ自分ノ了簡ヲ掛ケカヘシト聞タリ。田舎ノ人々ハ左モアルヘシ。(以下略) 【御双幅御影の向きについて】 名古屋別院では平常時、御双幅は西余間(向かって左余間)に奉掛しています。報恩講時、西余間には御絵伝がかかりますので御代前に移します。(下写真参照) お姿が小さく各上人がどちらを向いているか分かりづらく、知らない人も多いようです。別院職員でも「全て向かって右・阿弥陀様の方に向いているか、向かいあって描かれているか」質問してみると、はっきり自信をもって答えられる人は数人でした。 ![]() 余談になりますが、向かいあっている御影は斜かいにジグザグに描かれていますが、上人の目線が次の御影に向けられていて、それが法伝をあらわしているとかいないとか。そういうふうに描かれている御双幅があるとか。 早速別院に掛けられている御双幅をみてみますと、微妙。真っすぐみているようにみえるものもあり、若干上目線と感じるもの、若干下を見ているよにみえるものもありました。 ![]() (報恩講時 御代前 中央は蓮如上人) 御双幅も、御門首がお亡くなりになると前住上人御影と同じく新調することになります。 【御歴代御影について】 御歴代の御影に右向きと左向きがあるのは何故か。いろいろな人に聞いてみましたがはっきりした答えはお聞きすることはできませんでした。けれども、様々な説、御意見を聞くことができ、おもしろいお話がありましたので紹介させていただきます。 @生前に描かれたお姿は右向き、亡くなってから描かれたお姿は左向き? 『真宗故実伝来鈔』にそれらしきことが書かれています。 御代々御影右向左向之由緒 問。御代ノ御影ニ、右ニ向ハセ給フアリ、又左向セ在スハ、由アルヤ。答曰。有其由、御在世ノ時、御寿像在スハ右向也。御遷化ノ後、御影ノ出来サセ給フハ左向也。(最拝者ノ以方ノ左右也)右ニ座シ給フテ左ヲ向テ奉ルハ尊重ノ意也。(右ヲ上座トシ左ヲ下座ト定)御寿像ノ右ニ向タマフハ、左ハ座下ナレハ卑下ノ御意也。又或人ノ云。来迎引接ノ意也ト、弥陀ノ尊像ニ右ニ向ハセ給フヲ来迎トイヒ、左ニ向セ給ヲ引接ノ像ト名ツケテ、浄土ヘカヘラセ玉フ御装也。今モ亦遷化在スハ浄土ヘカヘラレシ也。故ニ左ニ向ケ奉ル、御在生者浄土ヨリ迎来ラセタマフ意ナル故ニ、来迎ノ相ニ順シテ右ニ向ケ奉ルト云々。此説ハイリホカナル歟 この文章を読むとこの説が一番有力のように見えますが、現状を考えるにどこの場所に御影を掛けるか、どこの場所に掛けるために作られたか、ということが御影の向きの一番基本となるように思いますので、一概にこの事が正しいのか、ご本山に掛けられている御影にあてはまるのかは疑問が残るところであります。 ご在世に描かれたか亡くなった後に描かれたかということだけで向きが変わるのならば、阿弥陀様(御真影)に対する向きということは全く関係なくなってしまいます。また、後半に書かれていることが理由ならば御影の向きは非常に意味のあることとなります。また、ご本山の場合、阿弥陀堂ではなく御影堂のはなしとなりますので、また意味合いが違ってくるようにも思います。 Aお御堂の形式による? 名古屋別院のお軸は前住上人として御代前に掛けることを前提に作られたと思いますので、阿弥陀様の方を向いているようになる、向かって右向きのお軸が殆どです。見たことはありませんが若干向かって左向きのお軸があるそうですが理由は分かりません。 本山において右向き左向きの御影があるのは、当時の時代背景、当時の御影堂の形態にも関係があるのかも知れません。当時御影堂がどのような形であったか。 現に御真影の向かって右側には前住上人が掛けられていましたが、現在蓮如上人が掛けられるようになりました。 どのご歴代の御影がどこに掛けられていたのか、歴史に詳しい先生に聞いてみることが必要かと思います。 B肖像画を描く場合向かって左に描くのが基本? 日本において肖像画を描く場合は向かって左向きに描くことが多いそうです。伝統的にそういうことが基本にあるという人もいます。日本の紙幣の肖像画をみるにだいたい向かって左をむいています。一万円札の聖徳太子も向かって左向きです。歴史的人物、例えば織田信長や豊臣秀吉の肖像画を思い浮かべてみると向かって左向きの姿が出てくるのではないでしょうか。このことを踏まえて考えてみると、向かって右向きの肖像画というものは真宗寺院特有の描き方なのかも知れません。 C歴代御影は御双幅と同じ向き? 歴代御影を並べてみると、巨大な御双幅になるとか。 とにかくいろいろな考えがでてきますが、実際のところはご影の向きまで研究する人がいないというのが今のところの答えです。ご本山の資料、様々な面から考えていく必要があるかも知れませんが、お伝えのあるお寺の方に聞けば一発で答えがでるかも知れませんね。 |
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