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淘五三以上で六首引き(以上)の場合、返しが付きます。六首引き(以上)というのは「添え」や「同音」がある場合も返しがつくということです。よって三首引の場合は淘に関係なく返しがつかないことになります。また、淘二・淘三のお勤めも返しが付きません。
本来、念仏の間に和讃をとなえるものと聞いていますが、淘三以下では返し念仏が省略されたかたちなのでしょうか。
例えば、報恩講のお勤めで御逮夜に正信偈真四句目下「淘五・五十六億七千萬」の場合、和讃は六首引になりますので五遍返は付く事になります。
御日中に登高座(とうこうざ)をして式・嘆徳文(しき・たんどくもん)があり、添え勤めで文類偈草四句目下(早草はやそう)「淘五・三朝浄土の大師等」の場合、三首引になりますので五遍返は付きません。
登高座のない場合は文類偈真四句目下「淘五・弥陀大悲の誓願を」六首引のかたちになりますので淘五でも五遍返は付きます。本山から出た勤行本にもこの場合五遍返が付いているようです。
原則としては淘五三以上・六首引の場合五遍返が付くことになります。ところが「弥陀大悲の誓願を」の場合、五遍返が付くか付かないか議論になったことがあります。 お互いの主張は平行線でしたが、何故、ということが中々はっきりしません。「報恩講の結願日中は付かない」??「恩徳讃、ほねをくだきても謝すべし、で終わるものだ」??いろいろ意見がでましたが推測の域を出ません。
『声明考』をみると 「返し念仏 五淘及び八淘は五遍返し、それ以上を七遍返とす。返し念仏は六首引の時に限り、三首引の時には之を用ゐず。六首目和讃跡淘のあるときは返念仏を用ひ、返念仏なきときは、六首目和讃跡淘なし。」とあります。また、
「跡淘 (前略)十淘、十二淘は右に準ず。返し念仏のなき時は三重の第二首目の跡淘は之を省く。三首引の時は返し念仏はなき故に三重の跡淘はなきこと論を待たず。同音の時は前讃に跡淘あり。」とあります。
前者の「返念仏なきときは、六首目和讃跡淘なし。」はそのまま読んでも疑問は起きませんが、その前の「六首目和讃跡淘のあるときは返念仏を用ひ、」は、”返し念仏を用いる時は跡淘あり”ではなく”跡淘のある時は返し念仏を用いる”とあります。
後者は、十淘、十二淘の跡淘について述べ、「返し念仏のなき時は…」と。
『大谷派儀式概要』教化研究所編には 「五三以上で六首引を勤めても反しを附けない向があるが、これは附くのが普通である。還骨勤行や本山の歳末昏時勤行のようなのは異例である。」とあります。
やはり、”五三以上で六首引を勤めても返しを付けない向がある”のでしょうか。この『大谷派儀式概要』は昭和28年初版、私が同朋大学で学んだ時のテキストであります。現在は『真宗の儀式』という本に変わったようですが、五遍返・返念仏の文字は載っていないようであります。
昭和51年にでた『中陰勤行集』の還骨勤行は三淘三首引のお勤めが載っていました。 本山の歳末昏時勤行は、別院の歳末昏時勤行があるので別院を辞めない限り参詣することはないので謎は深まるばかりですが、文献には「歳暮勤行之事 歳暮は若し小の月なれば二十九日七逮夜にて、『正信偈』中拍子六首引五三の淘なり。『和讃』は「南無阿弥陀仏の回向の」次第六首。此勤行に限りて、返しなし。『和讃』引きつゞき「願以此功徳」の回向文なり。」とありました。 「此勤行に限りて、返しなし。」と。
この「歳暮勤行之事」の文の続きは「諸末寺には三首の御詠歌の『御文』を読む処あれども、本山には『御文』なし。」と書かれています。気になるので、今一度『大谷派儀式概要』を見てみると次のようになっています。
一、日没(歳暮勤行) 正信偈 舌々 念仏讃 淘三 和 讃 南無阿弥陀仏の回向の 次第六首 回 向 願以此功徳 淘二 御 文 なし
この勤行形式は一般寺院向けのものでしょうが、淘三ですから返し念仏は付かないということでしょう。 ところが「御文なし」とありますし、念仏讃は淘三なのに回向は淘二とあります。謎はさらに深まるばかりか、新たな疑問まで出てきてしまいました。
ちなみに「弥陀大悲の誓願を」の五遍返のことで議論になったことですが、五遍返なしと主張されたのは本山堂衆の方でした。本山では五三以上でも感覚的に五遍返なしというのは”あり”なのかもしれません。そのようなお伝えが何処かにあるかもしれませんが、”五三以上で六首引を勤めても返しを付けない向がある ”ことは否めないようであります。 勿論、本山御正忌の結願日中は登高座式嘆徳文(坂東曲)ですので、三首引返しなしです。六首目になること自体が”なし”ですので当然返しが付くことはありません。
『門徒報恩講勤行集』(昭和56年印刷・発行、法蔵館編集部編集、西村七兵衛発行、校閲声明作法委員会・東本願寺式務部)には、淘五・「弥陀大悲の誓願を」次第六首の勤行が載ってますが、五遍返が付いています。
親鸞聖人七百回御遠忌記念版(昭和11年発行・昭和63年改定新版)『改定 昭和声明集』立花慧明師編集川島眞量師校訂には、六首目「如来大悲の恩徳は」の四句目の跡淘がありませんでした。
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追記
本山では正信偈は句切・句淘が勤まりますが、句切まで許されている別院があったり、一般の寺院では真四句目下が最高のお勤めであったりします。それと同じように昔は五遍返しについても、勤めることが許されたお寺とそうでないお寺があったそうです。 現在はそのようなことはないので、淘五三以上で六首引き(以上)の場合、返しが付くことになっていますが、昔の名残りで返しを付けないで勤めるお寺もまだあるといいます。 また、勤行前の式次第の読み上げ時、「五遍返しを付けてお勤めさせていただきます」といったことを参勤法中に説明する習慣がまだ残っているお寺もあるそうです。 |
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