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年中行事編

彼岸会のお勤め

 今年(2005年)の春季彼岸会は、3月17日が彼岸の入り、20日(日)がお中日、23日(水)が彼岸明けです。

 名古屋別院では(本山も同じですが)、この初・中・結の3日間は彼岸会の御日中で『往生礼讃偈』のお勤めをしています。

 『往生礼讃』は現在「大谷声明集上」には載っていませんので、したことも、聞いたこともないという人や、そんなお勤めがあるということ自体知らないという人もたくさんいることでしょう。『往生礼讃』のお勤めは、春秋の彼岸会に3回ずつ、年に6回しか勤まりませんが、『寸珍』には載っているところからみると、本山では昔から『往生礼讃偈』を勤めていたことが推測できます。(本山では一時期の間、していなかったとも聞いています)

 彼岸会は定例法要として、(御逮夜勤めはなく)初・中・結の日には兼日中(晨朝のお勤めに日中のお勤めを兼ねる)か別日中のお勤めをすることになっていて、別日中の場合は『正信偈』又は『往生礼讃偈』のお勤めをすることになっています。

 『往生礼讃』のお勤めをしたことも、聞いたこともないという人は、一度本山か名古屋別院に足を運ぶとよいでしょう。
彼岸会

 通常、法要は一昼夜(いっちゅうや・前日の逮夜、当日の晨朝、日中もしくは兼日中のかたち)になることが多いと思いますが、彼岸会は逮夜なしの兼日中もしくは別日中でお勤めすることになってます。一昼夜としての感覚ではなく、彼岸期間中という感覚がします。
 彼岸会は逮夜がない代わりか分かりませんが、普段の日没勤行(舌々短念仏回向)が昏時勤行として、舌々淘二和讃回り口次第三首のお勤めをすることになっています。
 いまいち日没勤行とか昏時勤行だとか夕時勤行とかの定義はわかりませんが、全て日時をさす言葉ですのでどの言葉を使っても支障ないようには思いますが、ただ、平日は日没、法要時には昏時として和讃を引くのかな?と理解しています。

 また、晨朝に立燭(りっそく)するのは、基本的には正月の修正会(しゅしょうえ・しゅうしょうえと言うこともある)と春秋の彼岸会くらいだと記憶しています。彼岸会は両尊前立燭斗(焼香なし)ですが、何故普段の晨朝は立燭しないのかという理由は聞いたことがありません。
 彼岸会において何故立燭するのかと考えてみても「彼岸会だから!」という根拠のない理由しか思いつきません。(根拠がないのでつい強く言ってしまう)
 大谷派の儀式において何故ということが分からないことはたくさんあります。私はそんなことに答えてくれる人が近くにいたらいいな、とつくづく思っています。
3月25日は蓮如上人の祥月命日

 本日は蓮如上人に御祥月命日で、昨日の御逮夜に引き続いて晨朝、御日中が勤まりました。晨朝には、法然上人の命日を兼ねているので毎月の如く和讃に「源空讃」を引きました。
 名古屋別院では、蓮如上人の御影が御代前に掛かるようになりましたので、御逮夜・御日中には両尊前並びに御代前、即ち三尊前に立燭(りっそく)焼香がなされました。
毎月27日宗祖逮夜

27日晨朝  道綽・善導章
    逮夜  宗祖逮夜

 晨朝は道綽和讃「本師道綽禅師は」より次第3首、善導和讃「大心海より化してこそ」より次第3首、いずれも展転章(てんでんしょう)赤節を用います。展転章・淘二なので難しいですが、毎月のことなので、慣れれば大したことありません。

 晨朝過ぎは、(朝御飯の後)油掃除を毎月しています。輪灯や菊灯の1ヶ月の汚れをきれいにし、場合によっては短い灯芯を取り換え、御逮夜に備えます。今月は彼岸でお磨きをした後なので簡単に済みました。
 名古屋別院は本山の阿弥陀堂の荘厳と同じかたちをとっていますので、普段から五具足の形式ですが、平生の阿弥陀様の前卓(まえじょく)は耳付きの花瓶が2つ、透彫(すかしぼり)土香炉が置かれているだけです。両鶴(鶴亀)は御逮夜のある時等必要に応じて出置しています。
 また、内陣出仕があるので、藺草履(いぞうり)や巡讃卓(じゅんさんじょく)を用意し後堂に置いておきます。
 逮夜の御文は「聖人一流」ですので、字指し(じさし)をさして梨子地(なしじ)御文箱に入れ余間に飾り置きして置きます。

 御逮夜の直前には、総灯明にし、祖師前側の向畳(むこうじょう)の御讃卓(ごさんじょく)の御和讃覆(おおい)を取り除きます。
 法要前、内陣出仕のある時は必ず地箒(じばき)というほうきで内陣を掃きます。
 毎月命日には配卓(はいしょく)がないので巡讃卓を内陣に据え置きします。法要前に箒ではくことを「ザイを入れる」と言っていますが、「ザイ」の漢字は不明であり、何故そう言うのか分かりません。
 両尊前の焼香があるため、金香炉に炭を入れ蓋を開けておき、立燭(りっそく)します。
 和讃や御文の字指の確認や外陣のキンの準備も忘れてはいけません。
 御逮夜までの一連の流れを書いてみましたが、意外と難しい語句、読み方の難しい言葉が多いです。
2005年春の法要

4月に入ると本山をはじめ各寺院で法要が厳修されます。
今年は名古屋でも京都でも桜が調度よい時期になりそうです。

本山2005年「春の法要」
  (毎年4月1日から数日間、年によって法要期間が異なります)
4月1日(金) 親鸞聖人御誕生会
        慶讃音楽法要
4月2日(土) 全戦没者追弔法会
4月3日(日) 相続講員物故者追弔会
        帰敬式受式物故者追弔会
        闡如上人十三回忌法要
4月4日(月)・5日(火) 闡如上人十三回忌法要

名古屋別院 2005年 (毎年4月第1日曜)
4月3日(日) 誕生児初参り法要
       (「御坊桜まつり」開催)
4月8日(金)釈尊降誕会
4月12日(火)御坊縁日「一如さん」
        闡如上人十三回忌法要
4月13日(水)闡如上人十三回忌法要

ちなみに親鸞聖人がお生まれになったのは5月21日ですが、名古屋別院では「桜まつり」に合わせて誕生児初参り法要を行っています。
22日聖徳太子・25日源空上人命日

 本山の阿弥陀堂でのお勤めについて、中央声明講習会の時に書いたメモ書きです。

於阿弥陀堂

漢音阿弥陀経(レイ(鈴)、外陣始経)
総礼
嘆仏偈(鈴、外陣始経) 報恩講時…内陣始経(伽陀師の席)
御早引
 念仏
 和讃
 念仏(後念仏)
 回向(ナマリ回向)
27日道綽禅師・善導大師命日

於阿弥陀堂
漢音阿弥陀経(本間勤メ)
        ↓
   (六祖の間に移る)
   (内陣退出後、外陣そのままの列で移る)
   (その後、切戸口から入内着座)
勧衆偈(善導観経疏玄義分)
御早引
 念仏
 和讃
 念仏止メで終リ(鈴三打)

六祖の間とは、阿弥陀さまに向かって左余間。七高僧の内、源空上人を除いた龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信の御影が奉掛してあります。

元旦のみ(漢音)門首登壇
小さいケイ向畳・門首調声
知恩講私記・太子講私記・両師講式

一 蓮如上人の御代には、毎月廿五日の勤の後に知恩講私記をあそはされ候き。実如上人御時よりあそはさす候。蓮如の御時も何事そ御さし合の時は私記はあそはされ候はて、早引にて御入候由候(667)


一 廿二日は早引はかり御入候つる、と被申候。蓮如上人仰に、今日は太子講の私記をあそはされ度候、と度々仰事候つる、と各宿老衆物語に被申候。実如の仰をも承候き。(668)



一 廿七日も毎月両師講式を如廿五日、常の勤の座敷にて、さはりにても、廿五日廿七日の式はあそはされ候由候。御堂に七高僧の御影かゝり申たる時も候つる。蓮如御往生五六年後は御堂にかゝり申候。七高僧にては御入なくて、法然上人をのけて六高僧にて、野村殿に本堂にかゝり申たる事にて候。(669)

『本願寺作法之次第』より

修正会
正月元旦から始まる法要を、「修正会(しゅうしょうかい)」と書いて「しゅしょうえ」といいます。
 「しゅうしょうえ」と読む場合もありますが、仏教読みでは「修行」を「しゅうぎょう」とは読まず「しゅぎょう」というように「しゅしょうえ」と読むんだ、ということを聞いたことがあります。


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