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発音編 大谷派の発音の特徴、注意点。発声・発音について

ちいちのはな

 浄土和讃『一一のはなのなかよりは』を大谷派の声明において発音する場合、「いちいち」と読まず「ちいち」と読ませます。
 この御和讃は『讃弥陀偈』の宝蓮の徳を讃嘆した御和讃ですが、なぜ「ちいち」と読ませるか分かりません。

 大谷声明集ではふり仮名がすでに「ちいち」と書いてありますし、本堂で使う和讃本では「井チ井チ」と書いてありますが節譜は一つしかなく、「ちいち」と読ませるように標記してあります。
 伽陀『一一光明』でも「ちいち」と読ませてます。
他、御経の中では「いちいち」と読んでいるのに和讃や伽陀では「ちいち」と読むのは不思議な感じがします。

 お西さんでは「いちいち」と発音しているそうです。ちなみに『本師源空』は「ほんじげんくう」と読むそうです。
 名古屋に『ちいちの会』という合唱団があるので、もしかしたら分かるかもしれないと思いましたが分かりませんでした。
ただ、『一一のはな』という歌があるのですが、それはお西さんから曲をいただいているそうで、こちらもお西さんでは「いちいち」と歌うそうですが、わざと「ちいち」と変えて歌っていると聞きました。


正信偈の発音の注意点


 「正信偈」をお勤めする時、間違えていることに気づかないことがよくあります。(声明本によって多少違うところはありますが)声明本通りに読むということが基本となるものでしょう。
 今回は「大谷声明集 上」(S52年4・30印刷、S52年9・1発行)の「正信偈草四句目下」を見ながら、よく門徒さん等が間違えやすいものの凡例をあげてみました。

※「誓」はすべて「せい・ぜい」と発音するものとする
※「ん」はすべて口を閉じて発音するものとする
※門徒さんに教える場合、鼻にかけてノム扱いのことは問題にしないものとする
(拍子によってのばすところは「ー」であらわしています)
 
・法蔵菩薩因位時 ○いんにーじー    ×いんいんじー
・超発希有大弘誓 ○ちょうほッけーうー ×ちょうほーけーうー
・即横超截五悪趣 ○ちょうぜッ      ×ちょうぜー
・仏言広大勝解者 ○しょうげーしゃー  ×しょうげッしゃー
・是人名分陀利華 ○ぜーにん      ×ぜんにん
・必獲入大会衆数 ○えーしゅーしゅー  ×えーしゅッしゅー
・道綽決聖道難證 ○どうしゃッけッしょう×どうしゃーけッしょう
・至安養界證妙果 ○しあん        ×しやん

 これらは門徒さんに教えている時に、実際に門徒さんが間違えてお勤めをしていたものの一例です。このようにみてみると、単なる思い違い、読み癖の他に、ツメルところを伸ばしたり、伸ばすところをツメたりすることが多いようです。
 また、「至安養界」のように「し」の口から「あ」を発音する場合「や」の発音になってしまうようなパターンもあります。
 それから、「発」の発音はツメルものと伸ばす(ノム)扱いと両方ありますが、声明本によって標記が違うこともあるように記憶しています。「常覆真実信心天」の「真実」や「常向鸞処菩薩禮」の「(菩)薩禮」なども同様、ツメルものと伸ばす(ノム)扱いのもと両方あるようです。
 他には「かん」を「くわん」、「がん」を「ぐわん」と書いてあったり、「こんりゅう」を「こんりう」とワリ字で書いてあったりする声明本もありますが、門徒さんに教える時はあまり気にせず教えています。 お寺さんに教える時は、ということは、また次の機会にと思います。

念仏の発音

 前に「至安養界」が「しやんにょうかい」になってしまうということにふれましたので、大切なことをもう1つ。
 大谷派の声明(法要)において欠かす事のできないのが念仏です。念仏なしでは法要がなりたたないと言われるくらい重要なお言葉であります。初重念仏、二重念仏、三重念仏、或いは短念仏と、実際「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と何回称えたことかわかりません。声明の原点とも言えるでしょう。ところが、そのお念仏の発音がきれいに発声されていない人が多いのに気づいているでしょうか。大人数でお勤めをしていると何人かいることがよく分かります。
 それは、「南無」の「む」の口で「阿」に移るので、「あ」の発音が「わ」の発音になってしまうのです。「なむわみだぶつ」と。勿論、間違えている当人は、ちゃんと「なむあみだぶつ」と言っているつもりですので、気づくことはありません。御文で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と続けて出てくることがありますが、「なむわみだぶつ、なむやみだぶつ」と訳の分からない発音になったりします。ご門徒さんに教える時は、「わみだ」さま・「やみだ」さまに南無するのではありませんよ、ちゃんと「あみだ」さまに南無して下さいね、と言うと、笑って場がなごみますが、やはり大谷派の声明においてはしっかり発音しなければならないものの1つだと思います。
 長い間癖づいているので、教えても意識していないとすぐ戻ってしまいます。正しい発音が癖づくまでは常に「あ」の口をしっかりつくって発音する習慣をつける必要があると思います。
客観的に自分の声を聞いてみる

 御文を拝読していて、今日はいい御文が読めたと思ったら、「今日の御文ちょっとへんだったよ」「ちょっと癖が強いな」とみんなにひどく言われたことがあります。自分が気持ちよく声を出して御文を読んでいる時に限ってそう言われるのは何故でしょうか。今思うに、それは自分の思いが強く先立ってしまい、基本的なことがらが疎かにされてしまった結果だと考えています。またこのことは、人の悪いところはよくわかるのに、自分の悪いところは全然気づかないのと一緒で、客観的に自分の姿をみることが難しいことを意味していると思います。
 私は学生の頃スキーが好きでよく友達と遊びに行っていました。最初のうちは滑れればいい、楽しければいいと思っていましたが、ある程度上達してくるともっと上手くなりたい、皆に上手だと思われたいと色気づいてきてました。ある時泊りがけで行った時に、ビデオカメラを持って滑っている姿を撮ろうという話になり、一生懸命格好付けて滑り、気分はインストラクター並みだったまでは良かったのですが、宿に帰り撮ったビデオを観た時は、恥ずかしいのを超え、悲惨な思いになったのを覚えています。
 声明も同じものと考えています。今でも、自分の声を録音して聞いてみると「誰だ!この下手くそは!」と言いたくなるのは私だけでしょうか?
龍笛の吹き方

 雅楽器の中に龍笛という横笛があります。吹口に息を吹き込んで音を鳴らすのですが、初めて吹く人にはなかなか音がでないものです。初めての人が鳴らすコツは、コーラの瓶に息を吹き込んで「ボー」と鳴らすような感じらしいのですが、私は全く音が出ませんでした。(すぐに鳴らせる人もいますが。)
 龍笛は、音が龍の鳴いている声に似ているので龍笛と言うそうです。(誰か龍の鳴き声を聞いた人がいるのでしょうか?まあ、とにかくそういうことらしいです。)吹き始めは、少し下の音程から荒々らしく息をたくさん吹き込んで(龍が鳴くように?)音を出し、(少し汚い音になりますが、)中は息を絞って(綺麗な)正しい音階に音をもっていき、音を切る時は音が垂れない(下がらない)ようにします。
 指で押さえる穴が7つあり、穴を押さえないと高い音が、穴を押さえていくと1音づつ下がっていく構造になっていますが、低い音は息を太く、たくさん息を使うようにやさしく吹き、逆に高い音は息を細く、唇に力をいれるように強めに吹きます。押さえる穴と息の入れ方の関係がうまくいかないと正しい音色を出すことができないので熟練されて技が必要になります。また、同じ音でも強く吹くと微妙に音が上ったり、弱く吹くと音が下がる性質をもっています。
 いずれも、口先で吹かないように腹からしっかり息を吹き込むことが安定した綺麗な音をだす基本となります。声明の声の出し方とほぼ同じです。


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