儀式に関するお知らせ
 1992年4月 ・昭和法要式のお取り扱いについて・浄土三部経(抄)の制定について
 1993年3月 ・浄土三部経(抄)打鏧箇所


 1992(平成4年)に昭和法要式取扱いについての変更が「お知らせ」というかたちで『真宗』に掲載されるとともに「浄土三部経(抄)の制定」が同時に発表された。
 また儀式の変更という点では、「昭和法要式」が制定された時は、「達令」「告達」というかたちとっているのに対し、今回は「お知らせ」というかたちの告知には、実に軽い感じを受けると共に違和感を覚えるところである。 
 
 

「1992年(平成4年)4月  ―真宗― (19頁)」より

儀式に関するお知らせ

            (式務部)

二月十七日から次の三点が変更になりましたのでお知らせします。

一 昭和法要式のお取り扱いについて

昭和法要式を本山、別院、普通寺院・教会の年忌法要に用いることができる。

【解説】昭和法要式とは、伽陀・表白・御経・総礼・正信偈または帰敬の文・念仏・和讃・回向・法話・拝読文を含めたものをいい、主に在家の年忌法要に用いると定められていた。今般、この法要式を本山、別院、普通寺院・教会の年忌法要においても依用できることとなった。

二 浄土三部経(抄)の制定について

(1)法要式における読誦経文として、新たに浄土三部経(抄)を制定する。

(2)浄土三部経(抄)は、仏説無量寿経(抄)、仏説観無量寿経(抄)及び仏説阿弥陀経から成り立つ。

(3)浄土三部経(抄)は、浄土三部経と併せて法要式において用いることができる。

【解説】従来「浄土三部経」としてあった三経四巻から、新たに三経三巻にし、本山、別院、普通寺院・教会の法要式に用いることができる。

「浄土三部経(抄)」の御経の内容については、「昭和法要式」中の御経の部分から念仏・和讃を除いたものと同じである。段構成は、無量寿経・観無量寿経については四段構成とし、阿弥陀経については三段構成としている。打鏧・経題調声読法については、別記のとおりである。七月一日から蔵版として下付される予定である。

三 別院輪番の入内について 

  (略)


 変更の内容については上記の通りであるが、このお知らせの背景には「昭和法要式」が在家の年忌法要に用いるために制定されたものが、実際にはお寺の年忌法要またはお寺の永代経等の行事に用いられることが多くみられるようになった爲に、「変更」並びに「(抄)の制定」を余儀なくされた面は否めないように思う。
 よって、「昭和法要式」は在家・寺に関係なく年忌法要(法事)に用いることができるものとし、お寺の行事・法要(永代経等)にば、「昭和法要式」は用いずに(抄)を用いるように使い分ける狙いがあるように感じられる。

 (抄)は「昭和法要式」と従来の三経四巻「浄土三部経」の中間的な存在となると言えるのではないでしょうか。「昭和法要式」が制定される時に議論された中に、時間的問題があったと思うが、「昭和法要式」が定着するにつれて、従来の法要式の感覚で昭和法要式風に変化したかたちになったように感じる。

 「浄土三部経(抄)」は簡単に述べると、「昭和法要式」の「大経」「観経」が3段に分れているのに対して、(抄)は昭和法要式でいう3段目に入り、「流通分」の爾時世尊・説此経法・無量衆生でもう1段分れて4段に切ること。(「阿弥陀経」は従来通り3段切である)
 また、「昭和法要式」は段の間で初重念仏和讃・二重念仏和讃・三重念仏和讃を入れたが、(抄)で勤めるという時はそのようなことはなくなることになる。
 また、(抄)の打鏧は「浄土三部経」と同じく各経全て1段目の終わりには打たないようなかたちに戻った。

 (抄)の読経箇所は「昭和法要式」と同じであるが、4段切であること、間に念仏和讃が入らないことになるが、鏧役は「昭和法要式」で勤める場合と「浄土三部経(抄)」で勤める場合と、経の初段終わりに鏧を打つか打たないか違いがあるので注意が必要であり、確認を怠らないようにしなければならない。逆に言うと、1段目終りに鏧が入るということは「昭和法要式」でお勤めしていることを意味し、1段目終わりの鏧がない場合は(抄)でお勤めしていることになる。「浄土三部経(抄)」が制定されて間もない当時は、「真宗」に載っただけで説明や講習会等が開かれていなかったので、法要前に打ち合わせ・確認をしても法要が混乱したり、確認したことと食い違いすることがでてきたりすることがしばしば起きた。


浄土三部経(抄)・浄土三部経・昭和法要式  打鏧対照表



















浄土三部経(抄) 仏説無量寿経(抄)





仏説観無量寿経(抄)
仏説阿弥陀経(抄)
浄土三部経 仏説無量寿経巻上







仏説無量寿経巻下
仏説観無量寿経
仏説阿弥陀経
昭和法要式 仏説無量寿経



仏説観無量寿経
仏説阿弥陀経
 ※1 法要次第により、御経の次に偈文・伽陀・楽等がある場合、打鏧しない。




 1992年4月に「浄土三部経(抄)が制定されてからおよそ1年後、再び「儀式に関するお知らせ」が『真宗』に掲載された。 
 鏧の打つ場所についてだけであるが、今回のお知らせは変更ではない。それは、打鏧箇所についていろいろな見解や誤認が生まれてきたために、改めてお知らせを掲載せざるをえない運びになったようだ。

 今回は新しい法要式の制定でもなく、変更点もなく、本当に「お知らせ」だけということであるので、この場合「お知らせ」という表現に違和感はない。

「1993年(平成5年)3月  ―真宗― (35頁)」より

儀式に関するお知らせ

            (式務部)

 本誌昨年四月号「儀式に関するお知らせ」(一九頁)中、別表「浄土三部経(抄)・浄土三部経・昭和法要式 打鏧対照表」を一部修正するとともに分かりやすくするため、改めてお知らせします。

一 浄土三部経(抄)打鏧箇所(印)は次のとおり

 (1)仏説無量寿経(抄)

  第一段 ●●仏説無量寿経○我聞如是○一時仏○・・・・・・・・・・・・當具説之
  第二段 説我得仏○国有地獄餓鬼畜生者○不取正覚○・・・當雨珍妙華○
  第三段 阿難白仏○法蔵菩薩○爲巳成仏○・・・・・・・・・・・・・・・如法修行○
  第四段 爾時世尊○説此経法○無量衆生○・・・・・・・・・・・・・仏説無量寿経 ㊟


 (1)仏説観無量寿経(抄)

  第一段 ●●仏説観無量寿経○如是我聞○一時仏○・・・・・・・・・淨業正因
  第二段 仏告阿難○及韋提希○諦聴諦聴○・・・・・・・・・・・・・・名爲邪観○
  第三段 仏告阿難○及韋提希○上品上生者○・・・・・・是名下品下生者○
  第四段 爾時阿難○即従座起○前白仏言世尊○・・・・・・仏説観無量寿経 ㊟

 (1)仏説阿弥陀経

  第一段 ●●仏説阿弥陀経○如是我聞○一時仏○・・・・・・・・功徳荘厳
  第二段 舎利弗○於汝意云何○彼仏何故○・・・・・・・・・・・生彼国土○
  第三段 舎利弗○如我今者○称讃諸仏○・・・・・・・・・・・仏説阿弥陀経 ㊟
 
     ㊟ 法要次第により、御経の次に偈文・伽陀・楽等がある場合は打鏧しない。


二 浄土三部経・昭和法要式の打鏧箇所は従来のとおり。


 打鏧箇所に対する疑問は「昭和法要式」が制定されてから始まっている。
 出口の光善寺藤原師が「お経の1段目の終りには鏧は打ちません」と言われていたように、本来と言いますか、元々1段目の終わりには鏧がなかったものを「昭和法要式」即ち、段の間に念仏や和讃を入れて勤める法要式に変えたことにより、1段目の終わりにも打鏧するように定めたことが議論を生み様々な見解や間違った認識を作る原因となった。

 何故1段目の終わりに鏧を打つのか、または何故1段目の終りには鏧を打たないのか明確な答えをきいたことはない。あえて言うならば藤原師の言われるように「お経の1段目の終りには鏧は打ちません」ということくらいしか根拠みたいなものはない。元々「昭和法要式」ができるまでは「浄土三部経式」しかないのであり、1段目の終わりには鏧を打たないことが当たり前であり、そういう感覚しかなかったことであったろう。
 「昭和法要式」は所謂新しく作った特異な法要式であり、伝統を重んじる人からみれば正式な法要式でない認識が強かった故に、新しく作られた「昭和法要式」というものに対して法要式自体を認めない感が強かったのは確かではないでしょうか。特に打鏧箇所については疑問を持つ人が全国にわたって多かったのは一つ言えることであった。

 1番見解が分かれた原因は、阿弥陀経の1段目の終わりに鏧を打つか打たないかというところにある。
 
 

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