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四瑞(しずい)
 中国における想像上の動物・生き物。竜(りゅう)鳳(ほう)・麟(りん)・亀(き)をいい、応龍(おうりゅう)、鳳凰(ほうおう)、麒麟(きりん)、霊亀(れいき)と様々なよび方があるようです。四霊(しれい)・瑞獣(ずいじゅう)ともいい、瑞兆として姿を現すとされるものだそうです。
 当派においては阿弥陀様の須弥壇や瓔珞には竜(龍)、打敷等には鳳凰がよく使われています。

 中国の想像上の動物で神獣・霊獣とされています。体は大きな蛇に似て、4本の足、2本の角、耳、ひげをもち、全身鱗(うろこ)に覆われている。「竜に九似あり」といわれ、角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼あるいは兎、体は大蛇、腹は蜃もしくは蛟、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似ているといわれているそうです。
 中国以外にも龍(ドラゴン)の伝説はあり、そのかたちは様々でありますが、ヨーロッパの方では大きな翼と爪を持ち火炎と毒気を吐き、悪と暗黒の力の象徴とされる場合が多いようであります。
 また竜は仏教以外、キリスト教、ヒンドゥ教等にも登場し世界各地の様々な伝説があるようです。

中日はなぜドラゴンズなのか?
 親会社である中部日本新聞社の杉山虎之助社長が辰年だったことに由来するといいます。本当は虎之助の「虎」をとってタイガースにしたかったが、すでに大阪に使われていたのでドラゴンズになったとか、という話です。
十二干支で唯一架空の動物が使われていることも何かあるのでしょうか。



 竜の起源は中国とされていますが、もともとインドには(中国であるような容をした)竜はいないようであります。それではなぜインドに竜がいなくて、仏典に竜がでてくるのでしょうか。観経の最後にも『無量諸天・及龍夜叉・聞佛所説・皆大歡喜・禮佛而退・佛説觀無量壽經…無量の諸天および龍・夜叉、仏の所説を聞きて、みな大きに歓喜して、仏を礼して退く。』とあります。

夜叉… 古代インドの悪鬼の類を指すが、仏法に帰依して護法神となったもの



 インドにおいて、蛇の精霊(水神)とされている蛇神(ナーガ)がいます。蛇を神格化したもので、姿は頭頂に5匹の蛇を飾る人間、下半身は蛇(コブラ)という(半人半蛇の)姿をしていると言います。仏塔や仏殿、仏陀を守護するようにお寺の柱や欄間に取り入れられていますが、その姿は人面のもの、鶏や獅子のような頭のもの、コブラのようなもの様々なようです。
 怒ると干ばつに、なだめられると雲もたらし雨を降らすと言われ、仏法の守護神ともなっています。このナーガが中国において竜と訳されたようです。

竜樹…梵語名ナーガールジュナの漢訳。竜(蛇神)の英雄の意。



 釈尊の誕生の際に灌水したのもナーガ(竜王)であったとも言われ、天から甘露の雨を降り注いてお釈迦さまの誕生を祝福したとか、生まれたばかりのお釈迦様の体に、9頭の龍が天から清浄の水を吐きそそいで産湯をつかわせたとか言われているそうです。
 釈尊降誕会に灌仏(かんぶつ)といって、花御堂(はなみどう)に安置したお釈迦様の仏像に甘茶を注ぎかけるが、このような話に由来しているといいます。



 『仏説無量寿経巻上 』「阿難、時にかの比丘、その仏の所、諸天・魔・龍神八部、大衆の中にして、この弘誓を発し、この願を建て已りて、一向に志を専らにして、妙土を荘厳す。」

『親鸞聖人血脈文集』
「もしこのこと、慈信にもうしながら、そらごとをももうしかくして、人にもしらせずしておしえたることそうらわば、三宝を本として、三界の諸天善神、四海の龍神八部、閻魔王界の神祇冥道の罰を、親鸞が身にことごとくかぶりそうろうべし。」

龍神八部とは天竜八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)ともいい、仏教が流布する以前の古代インドの諸神が仏教に帰依し、護法神となったものとされている。仏法を守護する8神、即ち、天・竜・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩?羅伽(まごらか)を指す。



天竜八部衆

「天」…梵天(ぼんてん)帝釈天(たいしゃくてん)等。梵天は古代インドで世界の創造主、宇宙の根源とされたブラフマンを神格化したもの。仏教に取り入れられて仏法護持の神となった。ふつう本尊の左に侍立する形で表され、右の帝釈天と相対する。帝釈天は、とう利天(須弥山の頂に位置し、閻浮提の上にある天界)の中央にある喜見城に住み、梵天と並び称される仏法守護の主神。ヒンズー教のインドラ神が仏教に取り入れられたものという。

「竜」…蛇神(竜王)八大竜王

「夜叉」…顔かたちが恐ろしく、性質が猛悪なインドの鬼神。仏教に取り入れられて仏法を守護する鬼神となり、毘沙門天の眷族(けんぞく)とされる。

「乾闥婆」…帝釈に仕え、香だけを食し、伎楽を奏する神。

「阿修羅」…仏教では仏法の守護神であるが、なおも鬼神・悪神とされることがある。

「迦楼羅」…須弥山の下層に住み、金色の翼を持ち、336万里(1344km)もある巨大な鳥で、空中を飛びまわり、龍を取って食べるという。金翅鳥(きんしちょう)。密教では仏法を守護し衆生を救うために梵天が化したとする。

「緊那羅」…帝釈天に仕える。馬首人身や人首鳥身などの姿で、楽器を奏したりや歌舞する歌神。

「摩?羅伽」…仏教守護の蛇神。



浄土和讃
南無阿弥陀仏をとなうれば
難陀跋難大龍等
無量の龍神尊敬し
よるひるつねにまもるなり

難陀跋難とは八大竜王の中にいて「二大竜王」とも言われている。
八大竜王…難陀(なんだ)・跋難陀(ばつなんだ)・娑伽羅(しゃから)・和修吉(わしゅきつ)・徳叉迦(とくしゃか)・阿那婆達多(あなばだった)・摩那斯(まなし)・優鉢羅(うはつら)

阿弥陀様の安置される須弥壇の中腹に竜が二頭いますが、それが難陀・跋難陀であります。

ここで問題!祖師前の須弥壇にいるのは何でしょう?分からない人は調べてみてください。



『ドラリオン』
 『キダム』や『アレグリア』で知られる「シルク・ドゥ・ソレイユ」は、今年『DRALION(ドラリオン)』というタイトルで、東京・仙台・大阪・名古屋・福岡を公演します。東洋(中国)を代表する龍(DRAGON:ドラゴン)と西洋を代表する獅子(LION:ライオン)からなる造語ということだそうです。
 西洋の龍(ドラゴン)は、インドの「蛇」や中国の「龍」とはイメージが違い、大きな翼をもち、どちらかというと、「鳥類」のイメージですが、こちらも何かが融合した姿なのでしょうか。


鳳凰
 古代中国の伝説にみえる想像上の霊鳥(瑞鳥)。麟(りん)・亀・竜とともに四霊(四瑞)の中の一つ。鳳は雄、凰は雌という。
 体は、前は麟(りん)、後ろは鹿(しか)、頸(くび)は蛇、尾は魚、背は亀、あごは燕(つばめ)、くちばしは鶏に似るといわれる。
 羽が五色絢爛な色なみで、声は五音を発するとされる。梧桐(ごとう)に宿り(桐の木にしか止まらないという)、竹の実を食べ、醴泉(れいせん)を飲むと伝えられ、聖徳の天子の兆しとして世に現れるとされる。
 おおよそ孔雀に似ている。古くは風を司るとされたが、後には五行説の流行により、四神のひとつ朱雀と同一視されている。

※四神…青竜、朱雀、白虎、玄武



 10円玉には宇治の平等院鳳凰堂が、新1万円札にはその鳳凰堂の屋根の上の鳳凰像が描かれています。金閣寺の屋根の上に飾られているのも鳳凰です。

 鳳凰は古くは風を司るとされたが、朱雀と同一視されるようになって火を司るとされるようになったようです。(鳳凰は漢代の緯書において火精として扱われている。)そのため、数百年に一度自ら香木を積み重ねて火をつけた中に飛び込んで焼死し、その灰の中から再び幼鳥となって現れるという不死鳥フェニックスと混同されがちであるが起源は別であるといいます。
 手塚治虫の「火の鳥」もこのような鳳凰やフェニックスをもとに書かれたようです。
 鳳凰は竜と同様に古代中国の想像上の生き物ですが、竜の場合、経典にも「竜」の文字もでてきますし、蛇神(ナーガ)に由来し、変化しながらも仏教に取り入れられてきたのでしょうが、しかしながら、鳳凰のの場合、浄土三部経典をはじめ教行信証にもその文字は一度もでてこないことは意外であるようにさえ感じます。



『仏説阿弥陀経』にでてくる鳥

「また次に、舎利弗、かの国には常に種種の奇妙雑色の鳥あり。白鵲・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。このもろもろの衆鳥、昼夜六時に和雅の声を出だす。その音、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その土の衆生、この声を聞き已りて、みなことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。舎利弗、汝、この鳥は実にこれ罪報の所生なりと謂うことなかれ。所以は何ん。かの仏国土には三悪趣なければなり。舎利弗、その仏国土には、なお三悪趣の名なし。何にいわんや実にこのもろもろの衆鳥あらんや。みなこれ阿弥陀仏、法音をして宣流せしめんと欲して、変化して作したまうところなり。舎利弗、かの仏国土には、微風、もろもろの宝の行樹および宝の羅網を吹き動かすに、微妙の音を出だす。たとえば百千種の楽の同時に倶に作すがごとし。この音を聞く者、みな自然に念仏・念法・念僧の心を生ず。舎利弗、その仏国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。」



「白鵲」…鶴の一種で、日本でいう白鳥。 鵲(かささぎ)は、カラス科の鳥。実際の鵲は全長約45センチ。尾が長く、肩と腹が白く、ほかは緑色光沢のある黒色という。

「孔雀 」…キジ科の鳥。雄は尾の付け根にある上尾筒(じようびとう)の羽毛が著しく発達して 1.5mに及ぶ。その各先端には華麗な彩りの眼状紋がある。インド・スリランカにはインドクジャク、中国南部・インドシナ・ミャンマー・インドネシアには真孔雀(まくじゃく)が分布する。

「鸚鵡」…オウム、インコ目の鳥のうち、インコ類を除いたものの総称。人の言葉を巧みにまねる。

「舎利」 …鷲鷺と訳して水鳥の一種。(九官鳥ともいわれている?九官鳥はムクドリ科の鳥。人間の言葉をよくまねる。)

「迦陵頻伽」 …かりょうびんが、妙声・美音・妙音鳥などと訳す。聞いて飽きることない美声によって法を説くとされ、浄土曼荼羅(まんだら)には人頭・鳥身の姿で表される。

「共命の鳥」…2つの人頭に鳥身(一身二頭の鳥)で、「もし一頭が死ぬと供に死ぬ故に共命」の鳥 。共命鳥(グミョウチョウ)は、考え方、生き方が違っていても、そのいのちはつながっているという、鳥に姿をかえられた仏さまのみ教えを表しているといいます。



 ここでは6種の鳥がでてきますが、白鳥や孔雀等姿の美しい鳥、人の言葉を発するような不思議な鳥、実際にいる鳥(鳥の名)や架空・想像上の鳥が入り混じっているようです。

 この中では孔雀が一番鳳凰に近い姿をしています。また、インドクジャクは鳳凰孔雀と呼ばれているといいますが、その姿の素晴らしさから後にそう呼ばれることになったのでしょう。

 「白鵲」は鶴の一種で簡単にいえば白鶴(白鳥)ということでしょう。しかし、鵲(かささぎ)はカラス科の鳥とあります。全体の色は黒であり、カラスと訳す場合、珍しい「白いカラス」となるのでしょうか。



 浄土が金・銀・瑠璃といった現世界にあるもの等で飾られているように、実在する鳥が含まれているのは、私たちに分かり易く浄土の素晴らしさを伝えようとした荘厳の基本的概念がそこにはあるように感じます。浄土真宗とキリスト教はよく比較されますが、神の子イエス・キリストが万物を創造した、ということとは根本的に性質が異なったものであると言えるでしょう。


 また、『仏説無量寿経巻下』には「金翅鳥(こんじちょう)」という鳥がでてきます。別名「迦楼羅(かるら)」ともいい、竜のところで述べた天竜八部衆の一。密教では仏法を守護し衆生を救うために梵天(ぼんてん)が化したとされ、翼は金色で、口から火を吐き、竜を好んで食うといいます。金翅鳥はインドネシアの聖鳥ガルダとも同一視されるが、鳳凰と同一視されることはないようです。


笙(雅楽の楽器)
 その優雅な姿かたちから鳳凰が羽を休めてとまっている姿によく例えられ「鳳笙」とも呼ばれ、その風雅な音色は「鳳凰の声」、「天から差し込む光」と言われています。




麒麟

 中国の想像上の動物。聖人が出現する前兆として現れるといわれた。体形は鹿、蹄(ひづめ)は馬、尾は牛に似て、頭に1本の角があり、全身から5色の光を放つという。一説に、麒は雄、麟は雌という。
 「生虫踏まず、生草を折らず」殺生を嫌う。一日に数千里走る事ができるという。麒麟の鳴き声は音楽の音階に一致し、歩いた跡は正確に円となり、曲がる時にも定規で測った様に直角に曲がると言われている。



 北京の北西に位置する頤和園にある麒麟像は一見、龍の子供のようにみえます。顔は日本の獅子に近いような気がしますが、鹿のような角が2本あります。龍の頭、鹿の胴、牛の尾ともいわれるそうです。俗称は四不象(しふぞう)。竜の九子のひとつと言われることもあるといいます。

 本来、角は1本であることから、西洋のユニコーンと比較されることもあるという。



 日本において麒麟といえば、先ず「ラガービール」や「一番搾り」に代表されるキリンビールのラベルに用いられている麒麟の絵が一番解りやすいのではないでしょうか。
 その麒麟の絵の中にはカタカナの「キ」「リ」「ン」の文字がデザインされているそうですが…
  「キ」耳と角の間
  「リ」たてがみの中央に横向き
  「ン」尾の上部
「リ」の字だけは未だ発見することができません。



 『天満宮の宝物殿のそばに、中国の伝説上の動物、麒麟(きりん)の像があります。実は、この麒麟が太宰府天満宮の聖域の境界線、すなわち「結界」になっており麒麟の胸から本殿側が聖なる領域なのです。また、この麒麟にはおもしろいエピソードがあります。長崎のグラバー邸で有名なグラバー氏がこの麒麟像をこよなく愛され、数回に渡って太宰府天満宮を訪れては麒麟の像を鑑賞していたそうです。グラバー氏は、友人が設立したビール会社を引き受けましたが、その時名前を「キリンビール」に変えたそうです。それが今のキリンビールになったとのことです。』太宰府天満宮HPより


 鳥取県には「麒麟獅子舞」というものがあると聞きました。「麒麟獅子の舞」なのか「麒麟の獅子舞」なのかよく分かりませんが、頭は麒麟のかたちをしています。麒麟と獅子はもともと起源が別のように思いますが、このように同一視されることも日本においてはあるようです。

 日本において「獅子」は社寺建築等によくみられます。中国から伝来したとか高麗・朝鮮半島から伝来したとか諸説あるようです。百獣の王・ライオンを原形とされているようで、力(権力)や強さの象徴として、或いは魔除けとして用いられることが多いようです。



 後には、神社の入口に一対置かれる「狛犬」も獅子とよく混同されますが、本来(?)は、向かって右側の阿形(口が開いた形)で角はない方を「獅子」といい、向かって左側の吽形(口を閉じた形)で1本の角がある方を「狛犬」と言うようでありますが一般的(?)には両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多いようです。
角の有る無しでいっても「獅子」は「麒麟」とは別ものといってよいかと思います。

※辞書:「狛犬」…「高麗犬」の意。「一対の獅子(しし)や犬に似た獣の像」
※沖縄の「シーザー」も獅子の一種といわれ魔除けとして家の屋根に置かれています。




 古代中国の伝説にみえる想像上の四霊(四瑞)の一つ。霊獣。霊亀、亀聖とも呼ばれる。強い生命力、長寿の象徴のシンボルとされるようです。甲羅の尻尾に髭のようなものが生えているように描かれることが多いが、藻の生えた亀とされている。(実際の亀類に毛が生えた亀はいないという。)老人・仙人を連想させる髭のようにも見えるため、長寿の象徴のように考えられる所以になっているともいう。


 甲羅に藻が生えた亀を蓑亀(みのがめ)というが、長生きするために藻がつくと考えられ、長寿のしるしとされて、中国では「緑藻亀」「緑毛亀」といい、霊亀・神亀として崇められているらしい。
 蓑とは、茅(かや)・菅(すげ)などの茎や葉、また、わらなどを編んで作った雨具のこと。肩からかけて身に着けるもの。

 大谷派の鶴亀(燭台)を実際の亀と比べると、耳が大きく出ていて、目は鋭く、首は上に長く伸び、手足はたくましい。藻のようなものは、甲羅のまわり全体に生えています。



 「鶴は千年、亀は万年」と言われますが、実際に亀がどのくらい長生きをするのでしょうか。一般には30〜50年のものが多いが、種類のよっては120年から150年生きる亀もいるという記録があるそうです。

 古く中国において亀の年は、千二百歳とされ、その年になると天地の始まりと終わりも占うことが出来るようになる、と言われているそうです。

 亀は千年生きると毛が生え、五千年で神亀、一万年で霊亀と呼ばれるようになる、とも言われているようです。



 古代中国では亀の甲羅に甲骨文字を書き込み、それを焼く亀ト(きぼく)という占いで国政を決めていたそうですが、それは日本にも伝来し行われていたといいます。亀の霊力の一つに未来を予知する能力があるとされ、その能力は長寿と関連するとされているようです。

 インドでは、亀が大地を支えるといい、神話に登場しているようです。



















 

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