正伝まろばし無刀どり演武 剣聖 上泉伊勢守信綱誕生500年 居士修道跡石碑建立40周年 演武場所 妙興報恩禅寺 寺
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妙興寺専門道場の入口の横に「上泉伊勢守信綱居士修道跡」という石碑が建てられている。 上泉伊勢守信綱(秀綱)は、藤原秀郷(俵藤太)の後裔で、一族は上野国上泉(現在の群馬県前橋市上泉)に住し、上州太胡の城主であった。秀綱は幼少の頃から兵法の修行と学問に励み、且つ虎山一峰和尚、信州伊那の天妙老師につき14〜5歳の頃から禅の提要を受けたといわれる。鎌倉で念流を学び、下総香取で神道流を修め、陰流の祖愛州移香斎につき鍛練を重ねた。興亡を繰り返す戦国の習いにより、城を失った後、伊勢守は兵法の修行に一生をかけ諸国を巡り、神陰流の開祖となる。上泉伊勢守信綱の弟子には、疋田豊五郎、神後伊豆守、柳生石舟斎宗厳、奥山休賀斎公重など剣術に大きな影響を与える名人を輩出している。 秀綱は、刃引きの刀や木刀で稽古・試合を行なうのは、互いに一命を落としたり、身を損なうとして、袋竹刀を発明しこれを用いた。又、秀綱が優れた達人であった事を伝える多くの逸話が残されている。妙興寺において修道中、子供を捕え納屋に閉じこもった乱心者を、僧形となり無刀で救けたという話は有名であり、柳生石舟斎の無刀取りの極意へと繋がる。 |
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![]() 中日新聞(尾張版)記事 |
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