熱田新田と番割観音               もどる
 
 熱田新田は江戸時代の初期の干拓地    観音様は土地の守護仏                     
 

正保4年(1647)に着工し、慶安4年(1651)に、検地のために東より一番から三十三番までの区割りをしました。            
                    ※検地:年貢高・諸役などを算定(さんてい)するために田畑などを測量調査すること

 各区割りの守護仏として、当時盛んに信仰されていた西国三十三所の観音様を各区割に安置したのです。                       
 
観音様は、はじめは各区割ごとに設置されたのですが、今では複数まとめて安置したりしています。(学区では十二番と十三番がまとめられています)
 
 ※番割は今でも、中川区、熱田区、港区の一番町〜十一番町として残っています。
 
 

三十三所のゆえん                                                                          
 

観音様は相手に応じて33の姿に変わり、世の中の人々をもれなく救ってくださるとのこと。それに因(ちな)んで三十三所という数字が定められたそうです。

 
 
参考 西国33所観音          
 
※京都市及び近辺にある10〜21は略してあります。                  もどる