新声明形式の制定
 ○同朋奉讃式について
   ・同朋奉讃第一 同朋奉讃第二
   同朋奉讃式のできるまで―声明作法審議委員会のあゆみ―   庶務部長 皨昇羑(ほしのぼり すすむ)
 ○昭和法要式について
  
・達令 告達第十七号
   ・昭和法要式について    内務局長 蓑輪英章
   在家年忌法要のための昭和法要式について  清水 洪
   昭和法要式   羽塚堅子


同朋奉讃式について(新声明形式の制定)
 
 1949(昭和24)年蓮如上人450回御遠忌の前年である昭和23年に「新声明制定委員会」が発足。「正信讃」をうみだした。 私が産まれる20年も前の話であります。

  1961(昭和36)年に厳修される宗祖親鸞聖人700回御遠忌を控え、新しい法要式を制定すべく「声明作法審議委員会」が昭和28年が発足。その背景には当派が、新興宗教の台頭と、門徒基盤である農村の崩壊により教田が失われとことに対する危機感があったようです。

 そして、1955(昭和30)年には「同朋奉讃式第一・第二」が制定、1957(昭和32)年には在家に於ける年回法要式の規準となる「昭和法要式」の制定をみることになる。

 『真宗』には、下記に述べられているように庶務部長皨昇(ほしのぼり)氏の書かれているように、諸会合様式として「同朋奉讃式」が制定されるべく目的の中には青年或は少年に対する教化というものがあったことが窺える。

 諸会合様式として制定された同朋奉讃式は当時どのように活用されたかわからないが、現在では「同朋奉讃式第一」は音楽法要として発展し、「第二」は「昭和法要式」に取り込まれることによって年忌法要通じてを広く勤められる法要形式となったといえるのではないでしょうか。

 

同朋奉讃式 第一


1、讃歌「衆会」または「みほとけは」(原則としてはオルガンを使用する。楽器のない場合は始めの一句を導唱する。一番だけでもよい。讃歌中に開扉する)
1、総礼(総礼中に導師は焼香する)
1、三帰依「パーリ文」(復唱法により合掌のまま唱和する)
1、正信讃
1、和讃(越天楽の旋律により初めの一句は導唱する)
1、聖句(導師全誦)
1、法話または行事
1、讃歌「恩徳讃」(讃歌中に閉扉する)
1、総礼
  (註)讃歌は場合により他の歌曲を用いてもよい。

 
同朋奉讃式 第二

1、讃歌「真宗宗歌」
1、総礼(総礼中に導師は焼香する)
1、三帰依(復唱法により合掌のまま唱和する)
1、三誓偈または嘆仏偈
1、念仏(同朋奉賛讃用)
1、和讃(お早引の型式による六首一組)
1、回向(無淘)
1、法話または行事
1、讃歌「恩徳讃」
1、総礼
  (註)讃歌は場合により他の歌曲を用いてもよい。




昭和30年7月1日 第622号 -真宗―

同朋奉讃式のできるまで―声明作法審議委員会のあゆみ―

庶務部長 皨昇 羑(ほしのぼり すすむ)

 

 声明と作法について、従来のものの調査審議とあわせて時代に即応した新しい様式を案じ出そうという試みから、「声明作法審議委員会」がうまれたのは一昨年の十一月のことである。
 時代に即応したものをつくりあげようということは、いうまでもなく迫りつつある宗祖聖人御遠忌までに旧殻を破つて、宗門全体が新しく脱皮しようとする強い意欲を反映して、その勤行の方面にも新機軸を出そうというアンビシャスな意図である。とも角、多少とも旧套を脱ぐということは、ここでは可成り至難なわざで、それだけ又真剣に取り組んでいこうという熱意に燃えるわけである。こうした意図をもつた試みは今がはじめてではなく、蓮如上人御遠忌法要を翌年に控えた昭和二十三年七月に、「新声明制定委員会」が設けられ、熟議をかさねた結果うみ出されたものは、人の知る「正信讃」であり、その歌詞については御允許を蒙つたのである。その後、陣容を新たにして「新声明審議委員会」が組織されたが、これはみるべきものなくしておわり、今回の新発足に承け継がれたのである。このたびの審議委員会は、前の二つの委員会が旧来の声明を審議の対象とせずに、新声明を制定しようとするという限定を超えたものであり、先ず従来の声明作法について、これを調査し、検討しながら時代に即応した様式をうちたてる助力をするというところに眼目があるのである。だからこの委員会はいわば劃期的な使命を担うものということが出来る。そしてその使命は大御遠忌までにはなんとしても果たさねばならぬことである。宗門が不易と流行をつつみながら生きているものである限り、時代の要請にその眼を覆うというような愚はゆるさるべくもない。
 昨年の二月の始めに第一回の会合がもたれたのであるが、そこでは総括的な問題について論議され、それらのことを要約してみると、この会のさしあたつて取りあげねばならぬことはあらまし次の三項に帰するのである。

一、      諸会合様式を制定すること。

二、      在家に於ける年回法要式の規準となるものを制定すること。

三、      宗祖聖人御遠忌法要は時代に相応して如何なる様式であらねばならぬか。

 またこれらの事項に関連して派生する諸問題についても、検討を加えていくことは言うまでもないことである。
 一、の諸会合様式の制定ということは各方面、ことに青年教化に携つている向きからの要望に応えて、この委員会として手始めに取りあげることとなつたのである。今まで青年会にしろ、婦人会にしろ、また一般的な会合にしろ、それが中央に於けるものでも、地方のそれにしても、様式に一定されたものがなく、その時々の司会者の任意で行われているのが現状であるが、これではあきたらぬものがあり、また不便を感ずるし、御一派の会合はいつどこで催されても、誰でも唱和できるきまりがほしいという声は久しい以前からあつたのである。その様式を作るにしても、それにはジェネレーションの相異があるから、少くとも青年向き(更に少年向きのものをという声があるが)一般向きの二種が考えられるわけである。同朋奉讃式第一は、殆ど歌唱に終始して若い世代の人々の宗教的感覚にアッピールするように工夫され、その会合の場所についても極めて自由であり、必ずしも御本尊ある場所を予想してはおらない。これに対して同朋奉讃式第二は、お勤めを加味した様式であり、本堂又は会館で御本尊の前であることが考えられる。いづれにしても、それぞれその目的に添うように勘案されているものであるが、然し、ここで申し添えておかねばならぬことは、「第一」「第二」の内容は従来用いられているもので、一応は耳や目にしたしまれているものばかりであり、こうしたものの組み合わせにすぎないから、斬新さの点に於ては何ら見るべきものはないということである。然し、それは単なる羅列ではないのであつて、如何に有機的ひ編成するかについては、委員緒氏のなみなみならぬ苦労があつたのである。
 次にそれらについて簡単な解説を附して御参考に供しようと思う。
 「第一」については、讃歌は「衆会」又は「みほとけは」を指定してはあるが、(註)に示してあるように、「第一」「第二」を通じて讃歌はすべてその会合の性質によつて選択がまかされる。
 開扉(同じく閉扉)焼香は会場によつて適宜に取捨する。三帰依は最も簡明な、しかも厳粛な仏教徒であることのあかしであるので、これは世界仏教徒を通じてもちいられているパーリ文を使用し、その旋律も亦これに従つている。これは総礼よりひきつづき合掌のまま導師につれて復唱する。次の「正信讃」は周知の通り正信偈の要旨の現代意訳であるが、委員会としてはこれにかわる新しいものをという意見がないでもなかつたが、歌詞として捨て難いものがあり、かつ御一派公認となつているのでこれを依用したが、作曲は委員会に於て推敲を重ねて新たになされたものである。その歌詞に相応するような詠唱風な格調をもつて貫かれている。それで「正信讃」といつても、以前の曲とは全く異なつたものであることに注意されたい。導唱二句につづいて斉唱されたあと、直ちに次の和讃にうつる。「弥陀の名号となえつつ」以下十首をえらんであるが、この和讃も句頭は導唱する。これは雅楽「越天楽」の旋律を用いてある。同種のものとしては「法のみ山」がある。歌いやすいように十首いずれも採譜してある。讃歌によつてまきおこされた会衆の声の波が、ここでもとの静けにかえり、荘重な聖句の朗誦が導師によつてなされる。聖句は、教行信証の総序、別序及び後序を選んであるが、これも亦適宜他の聖句を用いてもよい。ここには標準として前記を選んだのであるが、その読法は正確を期してある。つづいて法話が始まるか、または所定の行事が行われるのである。法悦の感情のたかまりが、結びの讃歌「恩徳讃」によつて深められていく。この讃歌に新旧二種があるが、いずれによるとも随意である。
 「第二」の解説にうつるが、讃歌「真宗々歌」をあげてあるが、これは古いだけによく普及はされているものの、今日になつては詞曲ともに低調のきらいがある。それで御遠忌までには各派と共調して優秀なものを作ろうという申し合わせが、この委員会でなされたが、その意味で暫定的に使用するのである。三帰依は「第一」の旋律と同じいが、ここでは和文を用いる。いままでは大抵の場合前文、後文のついた三帰依が用いられたが、なにかちぐはぐのものが感ぜられたので、ここでは用いない。この方が原文をあらわし、しかも簡潔である。これも「第一」と同じように復唱法を用いる。次の三誓偈(又は嘆仏偈)念仏、和讃、回向の一連は、「おつとめ」の形式であるが「第一」の正信偈、和讃が歌曲の型をとつているのに較べて、旧来の格式を守つている。これは前に述べたように仏前での作法である。なお砂張の使用は自由である。同朋奉讃用の念仏、お早引の形式による六首一組の和讃、無淘の回向はいずれも採譜されてあるから、おつとめのリズムを念頭においてやれば、一般には難解とは思われない。和讃は六組用意されてある。このあとは「第一」と同様であるので蛇足を加えるまでもない。
 同朋奉讃式は従来あるものの組み合わせであるから、斬新さという点ではとるべきものがないかもしれないが、これが御允裁を得て公布されるまでには、総会、小委員会に於いてはげしい検討をかさねてきたのである。あまり高踏的であつて、つくられたまま顧られぬというようなことであつてはならない。これはもとより一つの踏み石であつて、更によりよきものの誕生を切に望むものである。すでに公布されたものであるから一日も早く全国に普及し、あらゆる会合がこの様式のもとに行われることを念願してやまない。
 筆を擱くにあたり、この領域にことに御造詣深い法主台下が種々の点について御提撕を賜つたことを謹記しておく。
 作曲、採譜については主として清沢式務局長並びに清水洪委員がこれにあたり、なみなみならぬ努力をされたことを銘記しておきたい。ことに清水委員は宗議会に建議して、この委員会の前身である「新声明制定委員会」の生みの親であり、引き続きその蘊蓄をかたむけてもらつている。宗務所外の委員は次の通りである。

声明作法審議委員会(順序不同)

○明石 祐堂

○清水  洪

 金子 大栄

○稲葉 秀賢

 多屋 頼俊

 権藤 円立

 跡見 昌雄

 羽塚 堅子

○足利 瑩含

○長田 恒雄

 谷内 正順

 若松 瑩俊

 川島 真量

 大橋 暁

(○印は小委員会委員)

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 昭和法要式について


 昭和法要式は、在家の年忌法要に用いるために新しく作られた法要式ということですが、私の産まれる10数年も前に制定された法要形式であり、わたしがお経を習う時も「昭和法要式」の本にて練習し、一般にすでに定着したものという感があります。
 
 この昭和法要式は、全く新しい法要式に切り替わるということではなく、「従来の法要式と併用する」ことが明記されています。では、従来の法要式はというと・・・。もともと在家法事用の法要式というものがあるわけでなかったということですので、通常お寺で行われる法要式に準じて在家法事が行われていたと推測できます。

 勿論、「昭和法要式」ができる前までは4巻3経の本三部経しかないわけでありますので、お経の読誦だけも大変時間がかかったことが難点であったようです。またお経の読誦する時間が長い為に、音楽的には単調になり、参詣の人はかなり退屈なことも懸念されたようです。

 「昭和法要式」で一番問題とされることはお経を抜粋したということでしょうが、それについて「侍董寮の全幅の御協賛と御協力を得て」と記されています。「侍董寮」とは当時真宗大谷派の最高の宗意安心決定機関であったようです。

 また抜粋して時間が短くなったことに対して、「会衆の疑惑を招くことのない様、御留意御配慮いてだきたい」ことを述べられている。





昭和32年2月号 -真宗‐

達令

告達第十七号

昭和法要式を次の通り定め発布の日から施行する。

 昭和三十一年十二月二十八日

      宗務総長 宮谷 法含

一、この法要式は主に在家の年忌法要に用いる。

二、この法要式は従来の法要式と併用する。

三部経式

イ、伽 陀 先請弥陀入道場

ロ、表 白

 二文のうちいずれを用いてもよい。

ハ、御 経

一段      大経、初重念仏、和讃、経後念仏

二段      観経、二重念仏、和讃、経後念仏

三段      小経 三重念仏、和讃

 各経の切及び経の終に鏧一打。

 初重念仏の調声の終鏧なし。

 二重念仏の調声の初め「南無」を冠する。

 経後念仏はムア上鏧三打止。

 三段目の和讃の終鏧一打。

ニ、総 礼

 総礼の後鏧二打。

ホ、正信偈又は帰敬の文

 正信偈は中拍子又は草四句目下により唱和。

 帰敬の文は正信偈の初めの二句を復唱法により唱和。

ヘ、念 仏

 同朋奉讃式第二の念仏を用いる。

ト、和 讃

 同朋奉讃式第二の和讃のうちから一組を用いる。

チ、回 向

 無淘

リ、法 話

ヌ、拝読文

無量寿経式、観無量寿経式、阿弥陀経式

イ、伽 陀 先請弥陀入道場

ロ、表 白

 二文のうちいずれを用いてもよい。

ハ、御 経

一段      経文、初重念仏、和讃

二段      経文、二重念仏、和讃

三段      経文、三重念仏、和讃

御経は「無量寿経式」の時は「無量寿経」。「観無量寿経式」の時は「観無量寿経」。「阿弥陀経式」の時は「阿弥陀経」を読誦する。

各段の経の終及び和讃の終鏧一打。

初重念仏の調声の鏧なし。

二重念仏の調声の初め「南無」を冠する。

ニ、総 礼

 総礼の後に鏧二打。

ホ、正信偈又は帰敬の文

 正信偈は中拍子又は草四句目下により唱和。

 帰敬の文は正信偈の初めの二句を復唱法により唱和。

ヘ、念 仏

 同朋奉讃式第二の念仏を用いる。

ト、和 讃

 同朋奉讃式第二の和讃のうちから一組を用いる。

チ、回 向

 無淘

リ、法 話

ヌ、拝読文

表 白

本日ここに

釈   (法位)の    忌にあたり有縁の同朋集いてこの法縁にあいたてまつる。

惟うに、如来の本願はわれらの業苦を悲しみてあらわれたまい、無碍の光明は群生の無明をみそなわして照したもう。
これによつて罪深く悩み多きわれら、大悲の願船に乗じて生死の苦海をわたらしめらる、しかれば如来の御名は悪を転じて徳となす智慧にして、金剛の信心は疑いを除き証を得しむる真理なり。これまことに凡夫の修し易き教にして愚鈍の往き易き道なり。ここに釈尊の勧めをあおぎて弥陀の本願を信じ、専ら念仏して易往の大道に帰したてまつる。
ああ、如来の本願には多生にも遇い難く、真実の信心は億劫にも獲がたし、たまたま行信を獲れば遠く宿縁を喜ぶべきなり。
いま、幸に同信同行の縁、茲にむすばれ歓喜胸に満つ、いよいよ恩徳の深きことを知り、如来広大の威徳を讃えまつらん。
  敬って白す。

  表 白

本日ここに

釈   (法位)の    忌にあたり

有縁のひとびと相寄り集い

亡き人を偲びつつ

如来のみおしえに遇いたてまつる

それ

阿弥陀如来は久遠のいにしえ

われら凡夫のために大悲の本願をおこしたまい

われらのすくいを誓いたまえり

釈尊 世に出でまして

如来の悲願を説きたもうや

世世の高僧これを承け継ぎ

正法を明らかにし

宗祖 親鸞聖人

したしく教行信証をあらわして

本願の正意を顕彰したまえり

われら今 宿縁のもよしにより

真実の みおしえに遇いたてまつり

慈光のうち 歓喜の日日に生く

いま この法会に値して

報謝のおもい いよいよ新たなり

あいともに

如来大悲の恩徳をあおぎ

師主知識の遺徳をよろこび

つつしみて報恩の大行にいそしまん。

  敬って白す

三部経の読誦箇所は左記の通り

無量寿経

第一段      仏説無量寿経 我聞如是一時仏住王舎城より

解脱菩薩皆遵普賢人士之徳まで

爾時世尊諸根悦予姿色清浄より

今為汝対日唯然願楽欲聞まで

仏告阿難爾時次有仏名世自在王如来より

唯垂聴察如我所願当具説之まで

第二段      説我得仏国有地獄餓鬼畜生者不取正覚より

大千応感動虚空緒天人当雨珍妙華まで

第三段      阿難白仏法蔵菩薩為巳成仏より

但爲将来衆生欲除其疑惑故問斯義まで

仏告阿難其有衆生生彼国者より

住不退転唯除五逆誹謗正法まで

仏語弥勒其有得聞彼仏名号より

一切大衆聞仏所説靡不歓喜仏説無量寿経まで

観無量寿経

第一段      仏説観無量寿経 如是我聞一時仏在王舎城より

過去未来現在世諸仏浄業正因まで

第二段      仏告阿難及韋提希諦聴諦聴より

(第九観)名為正観若他観者名為邪観まで

第三段      仏告阿難及韋提希上品上生者より

是名上品上生者まで

仏告阿難及韋提希中品下生者より

是名中品下生者まで

仏告阿難及韋提希下品下生者より

是名下品下生者まで

爾時阿難即従座起より

聞仏所説皆大歓喜礼仏而退 仏説観無量寿経まで

阿弥陀経

第一段      仏説阿弥陀経 如是我聞より

其仏国土成就如是功徳荘厳まで

第二段      舎利弗於汝意云何彼仏何故より

若有信者応当発願生彼国土まで

第三段      舎利弗如我今者称讃諸仏より

聞仏所説歓喜信受作礼而去 仏説阿弥陀経まで

三 部 経 式

  如来の作願をたづぬれば

 苦悩の有情をすてずして

 廻向を首としたまひて

 大悲心をば成就せり 

  煩悩にまなこさえられて

 摂取の光明みえざれど

 大悲ものうきことなくて

 つねにわが身をてらすなり

  仏慧功徳をほめしめて

十方の有縁にきかしめん

信心すでにえんひとは

つねに仏恩報ずべし

無 量 寿 経 式

  無碍光仏のひかりには

 清浄歓喜智慧光

 その徳不可思議にして

 十方諸有を利益せり

  至心信楽欲生と

 十方諸有をすすめてぞ

 不思議の誓願あらはして

 真実報土の因とする

  真実信心うるひとは

 すなはち定聚のかずにいる

 不退のくらいにいりぬれば

 かならず滅度にいたらしむ

観無量寿経式

  恩徳広大釈迦如来

 韋提夫人に勅してぞ

 光台現国のそのなかに

 安楽世界をえらばしむ

  大聖おのおのもろともに

 凡愚底下のつみひとを

 逆悪もらさぬ誓願に

 方便引入せしめけり

  定散諸機各別の

 自力の三心ひるがへし

 如来利他の信心に

 通入せんとねがふべし

阿 弥 陀 経 式

  十方微塵世界の

 念仏の衆生をみそなはし

 摂取してすてざれば

 阿弥陀となづけたてまつる

  恒沙塵数の如来は

 万行の少善きらひつつ

 名号不思議の信心を

 ひとしくひとへにすすめしむ

  諸仏の護念証誠は

 悲願成就のゆへなれば

 金剛心をえんひとは

 弥陀の大恩報ずべし


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昭和32年2月号 -真宗―  5頁

昭和法要式について

内務局長  蓑 輪 英 章

 

 今回、大谷派の新しい法要形式として、別項の如く、昭和法要式が制定せられました。先に同朋奉讃式第一、第二が制定せられ、今回更に、三部経、大経、観経及び小経の法要式が新たに制定をみた次第でありますが、宗内に広くこれが活用せられ、法要の会座に新たな一つの雰囲気が醸され、そこから会衆共々に聞法法悦の境地が開かれて参る様に念願されることであります。

 今回の制定に当りましては、声明作法審議委員会の数次にわたる研究と熟議を蒙つたのでありますが、その意図するところは、次の諸点であつたのであります。

一、    真宗の宗義にもとらぬ様、各経文を抜萃する。

二、    聞法を本位とする。

三、    現代に合う様にする。

四、    会衆が、一部唱和する様にする。

 一については、従来の読経が、相当長時間を要し、しかも単調に流れて、ややもすれば読経者も会衆も、苦痛を覚え、これを全うするには相当忍耐を要するという傾きがなくもない実情を鑑みて、先ず時間的に短縮するため、宗学の諸師を煩わして、宗義の上から許される範囲の抜萃を図つたのであります。幸に諸師並に侍董寮の全幅の御協賛と御協力を得て、この意図は全うされた次第であります。経文省略の部分には、乃至の二字を挿入してこれを明示することにし、読誦に際しては、これを読まないことに決定されました。ここに特に御注意いただきたいことは、宗義の上から、慎重な研究を経て、この抜萃がなされたということでありまして、読誦に際して、従来の観念から、会衆の疑惑を招くことのない様、御留意御配慮いただきたいことであります。

 次に聞法を本位として法要がいとなまれる様、意図したのであります。従来、法要並に読経の主旨が、往々にしてはき違えられ、読経を以て死者に廻向する如くに考えられておつた傾きがある様であります。先立つた方々の年忌を機縁として、先ず自らが忘恩を懺悔し、法縁に会うて聞法するという、本来の法要の主旨を明らかにすべく意図いたしたのであります。表白文第一並に第二の文中この主旨を明らかにし、読経に先立つて、先ず会衆と共に敬虔に聞法すべく心構えをとる様にいたしました。かくて全読経並に同朋奉讃を通じて、すべてわれわれの聴聞であることを明らかにし、更に読経が終つて必ず、一座の法話を持つ様にいたした次第であります。

 三については、各経文をそれぞれ三段に分け、各段にそれぞれ、初重二重三重の念仏並に和讃各一首が挿入されました。これによつて読経の単調さが破れ、併せて音楽的な諧調の変化を持たせることが意図されたのであります。

 最後に、会衆と共に、同朋奉讃を唱えることにいたしました。従来、読経法要は、僧侶の専業視され、同朋教団としての本来の立前からも逸脱し勝ちであつた弊に省みて、共々に仏徳讃嘆の誠を捧げる意味でこの様に制定を見たことであります。

 以上、簡略ながら、今回の新法要式について、その趣意を述べた次第でありますが、これを要するに、宗祖聖人の御遠忌を縁として、形の上に於ても時代を考え、宗門が新しく興隆の実をあげ得る様、考慮された次第であります。これが普及徹底には猶、少からぬ時日を要するでありましようが、願わくは新制定の趣旨が広く了解せられ、あらゆる機縁が求道聞法であるという、宗門本来の立前がいよいよ明らかになつて参ることが念願されるのであります。何卒宗門挙つて、この普及に御協力下さる様、念じて止みません。

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1957年 昭和32年3月号  -真宗‐

在家年忌法要のための
昭和法要式について

清水 洪

一、 制定の意義

 この度、告達第一七号で発布になつた「昭和法要式」(真宗二月号掲載)は、主として在家における年忌法要の式次第として、新しく制定されたものであるが、従来の法要式が廃止されたのではない。従つて今までの法要式を用いても何ら差つかえはないが、時代の推移と共に、時としては法要参詣の人達の宗教感情にそぐわない事実のあるのに鑑み、現代的法要式として、声明作法審議委員会の答申に基き法主台下の御裁可を得て、新たに発表されたものである。主として在家の年忌法要のために制定をみたものであるが、勿論末寺における年忌法要に依用することは差しつかえがない。
 元来、一派においては、特に在家の年忌法要式として制定された式次第はなく、本山、末寺における法要式をそのまま準用されていた訳である。従つて、形式的にも時間的にも、在家の御内仏における勤行式としては、必ずしもふさわしいとはいえないものがあつた。その上、地方によつてはやたらに三部経の読経を要請されるため、略三などと称して、下巻を略して読経する風習を生じ、現今ではほとんどこの読誦法が普通にさえなつている。これは、ただに一派の法要式に紊るばかりではなく、一種おごまかし行為であり、教義的にも大切な下巻を略しては意味をなさないことになる。その上変化のとぼしい疏略な読誦法では、法要の尊厳を欠き、参詣者に深い宗教的感銘を与えることなど到底望むべくもない。
 以上のような弊を除き、法要儀式そのものが、真に善知識の御化導として仏徳讃嘆報恩謝徳となるよう、現代人の感覚に相応した在家法要式を確定普及することが、「昭和法要式」制定の意義である。

   二、 法要式の要点

 この法要式が組立てられるためには、大体次の様な点について考慮が払われた。適当な時間であること、教義的に非のないこと、変化に富んでいること、参詣者と共に同朋唱和出来ること、普及性のあること、そして終始厳粛であること、等である。
 所依の経典である三部経を厳密に読誦するとなれば、長時間を要し過ぎ、変化にも乏しいため、却つて法要の厳粛を欠くきらいがある。さればといつて、いわゆる略三や、意味を無視した略し方では教義的に許されない。そこで各巻にわたり、教義的に略すことの出来ない章句を迸んで接続し、元経の約半分の長さに縮められた。そのためには真宗学者の意見を綜合し、最後には侍薫寮に査問せられ決定を見ている。
 式次第に変化を与え、音楽性をもたし、かつ参詣者に判る勤行とするため、三経及び各経とも三段に分つて、その各段に念仏和讃を挿入した。そして最後に同朋唱和の部分を設けた。また初めに表白文を入れて、年忌法要の意味を徹底させ、最後に法話を行つて、真宗における法要が、どこまでも聞法の勝縁たる意義を明らかにされている。
 各段の念仏和讃を正信偈念仏讃の初重二重三重を用いたことは、特別な練習を要しないことによつて、この法要式の普及を容易ならしめようとしたものである。
 なお法要式の現代化という立場からは、経文を訓読又は意訳文にすることが理想であるが(審議会においても随分討議された)、読誦法の困難、厳粛性減殺への配慮、決定的意訳文制定までの時間的制約、当派のみの制定への可否等、幾多の理由によつて、従来通りの呉音読みとされた。しかしこれは今後の課題として残されるものと解釈してよいと思われる。

  (以下四種の式について、依用上の緒注意を記すが、真宗二月号二六頁の告達第十七号の記載を参照して読んでほしい)

三、  三部経式について

 先ず、伽陀(先請弥陀入道場)を上げ、続いて表白文を朗誦する。表白は二種あるが、第一はやや固く、第二は比較的平易な文体である。法要の軽重、参詣者の傾向に応じて、適宜選択して用いてほしい。何れも文の初めに法名と何回忌かを挿入して用いる。読み方は特に定めはなく、式嘆の様に節を付けずごく自然な読み方で、参詣者に聞える様にすべきであろう。
 御経は各巻とも三段に分れているが各段の終りにはそれぞれ鏧を一打する。大経が終り経題(ただ仏説無量寿経といい巻上、巻下をいわない)の最後の字に鏧一打し、初重念仏の調声を出す。この調声念仏の終りには、正信偈の時の様に鏧を入れないことに注意されたい。続いて和讃一首(如来の作願をたずぬれば)を初重の節で唱え、終つて経後念仏の調声を出す。経後念仏は、ムア上げで、いわゆるダダナで鏧三打する。
 観経も終りの経題の最後で鏧一打し、二重念仏の調声を上げる。但しこの二重調声は、正信偈の様に阿弥陀仏を上げないで、南無を冠して唱えることに注意願いたい。続いて和讃一首(煩悩にまなこさえられて)を二重の節で唱え、経後念仏で終る。
 小経も終りの経題後鏧一打、三重念仏の調声を出す。次に和讃一首(仏慧功徳をほめしめて)を三重の節で唱え、この和讃の終りに鏧一打し、ここでは経後念仏を入れないで終り総礼する。
 ここ迄が経段で、これ以下は同朋唱和のおつとめとして、参詣者と共に唱えるのである。総礼の後鏧二打し、正信偈又は帰敬の文を唱える。正信偈は中拍子又は草四句目下を用うる。帰敬の文とは「正信讃」の初めの二句、(とわなるいのちのほとけに帰命し、はてなき光のほとけに帰命す)を指す。これの復唱法は、まず導師が「とわなるいのちの」迄をゆっくり朗誦し、大衆はそれを繰り返す。次の「ほとけに帰命し」を導師が朗誦し大衆が復誦する。「はてなき光の」を導師が朗誦、大衆が復誦。「ほとけに帰命す」を導師朗誦、大衆復誦して終る。
 地方によつては正信偈を用いる方がよく慣れていて唱和し易いこともあるが、時間的に長くなることと、参詣者が必ずしも門徒に限らないこと等を考えて、むしろ簡潔で意味のよく判る「帰敬の文」を用いることを薦めたい。」なお帰敬の文の終りには誦を用いない。
 次の念仏・和讃・回向は、先年発表せられた同朋奉讃式第三の念仏以下と同様である。即ち「お早引き」の形式によつて勤めるのである。
 最後に必ず短い法話を行い、法話の後でお文又は適当な拝読文をあげて終るのである。尚参詣者が焼香を為す場合は、小経の読経中に行うか、或は全部の勤行が終つてから、自由焼香にすべきと思われる。

  四、 無量寿経式、観無量寿経式、阿弥陀経式について

 大経式、観経式、小経式というのは、それぞれの経を中心とした法要式をいうので、法要の軽重に応じて、適宜依用してほしい。この三種の法要式は、形式的には三部経式と全く同じである。三部経式では各経の終りに、それぞれ念仏和讃を入れたが、この法要式では、第一段の終りに初重念仏和讃、第二段の終りに二重念仏和讃、経の終りに三重念仏和讃を挿入するのである。但し第一段、第二段の和讃の最後に鏧一打して次の段へ進む。和讃は各経式共、特に三種を選定されてあるから、それぞれ依用する。(告達参照)
 同朋唱和の部分は三経式と全く同様である。この三種の式は、各段に念仏和讃が入るため、勤め方によつて従来の一巻勤行の時よりも、時間的には長くなる傾向がある。特に阿弥陀経式ではずつと長くかかることになる。しかしこの点は法要式全体に変化があるため、参詣者にとつては決して長い感じを与えず厳粛さを保つことが出来ると考えられる。

  五、 むすび

 在家の年忌法要といつても、真宗的習慣の強い地方、全く仏教的教養のない地方、又は参詣者が門徒ばかりの場合、門徒以外の人が多数を占める場合、青年の多い場合、老人ばかりの場合等によつて、必ずしも一律に考える訳にはいかない。従ってこの「昭和法要式」がその何れの場合にも適応した完全なものとは決していうことが出来ない。その点は今後の研究にまたねばならないが、未だかつて在家用の法要式が制定さられたことのなかつた当派にあつて、声明作法審議委員会の二ヵ年に亘る各方面よりの慎重な検討の結果、告達によつて正式に制定発布せられたことは、全く歴史的意義を持つものと思われる。特にこの法要式の制定に当つて、法主台下が非常な御関心と御熱意をお示し下され、委員会にも数回に及び御出席になり、御高見をお洩し下さつたことが、制定に権威を与えられたことは、誠に感激の極みで忘れることが出来ない。
 なおこの法要式の読誦用経本を、近く本山より発刊せられる運びになつているから、新しいものの制定に当つては、種々の批判もあるこは予想されるが、以上述べた様な意義と制定に至る経緯を諒解の上、宗門全般に広く依用され、御遠忌御待受の一環として役立てられることを念願してやまない。

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昭和33年6月号  ―真宗―

昭和法要式   羽塚堅子

 

今般新たに制定せられました昭和法要式は、時機に適したものか、各地で盛んに講習会が開催せられ、実際に行われる様になつたのは、誠に結構なことであります。この法要式の持つ特別な意義に就いて、少しく私の考えをお話ししたいと思います。

 ▽先ず第一が伽陀であります。伽陀は印度以来お経を読む前には必ず諷誦するもので…

 ▽先請弥陀の四句の偈は召請讃でありますから…

 ▽先請弥陀の伽陀は八淘の節であります。常に大抵伽陀といえば八淘を…

 ▽伽陀の調子はどんなものかというと、是は二重の調子でありまして…

 ▽先請弥陀の伽陀がすむと、次は表白…

 

 

昭和33年7月号  ―真宗―

昭和法要式私考 そのⅡ   羽塚 堅子

 

 表白がすむと次はお経であり…

 

昭和33年8月号  ―真宗―

昭和法要式私考 その三   羽塚 堅子

 

 大経第一段について長々とお話いたしましたが、お経の次は初重の念仏和讃であります。念仏も和讃も三淘でありますから…

 

昭和33年10月   ―真宗―

昭和法要式私考 その四  羽塚 堅子

 

 回を重ねて無量寿経式の経讃第三段のお話となりました…


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